アルバム『オール・シングス・マスト・パス』のセッション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 05:02 UTC 版)
「オール・シングス・マスト・パス (曲)」の記事における「アルバム『オール・シングス・マスト・パス』のセッション」の解説
プレストンのアルバムのプロデュースを終えた後、ハリスンはソロ・デビュー作となる3枚組のアルバム『オール・シングス・マスト・パス』の表題曲として、本作を自分で録音することを決めた。本作について「すべてのものの死について歌った心に響く賛美歌」と評した作家のエリオット・ハントリーは、1970年7月に長い闘病生活の末に母親を亡くしたこともあり、ハリスンの演奏にはさらなる切なさが加わっていることを指摘している。 ハリスンは、共同プロデューサーとしてフィル・スペクターを迎えて、5月26日から6月初旬にかけてEMIスタジオでベーシック・トラックを録音した。録音には、リンゴ・スター、ピート・ドレイク(英語版)、ボビー・ウィットロック、エリック・クラプトン、クラウス・フォアマンらが参加。レングは、本作におけるピアノの奏者をボビー・ウィットロックとしているが、ウィットロックは2010年に出版した自伝の中で、本作でピアノを弾いたのはプレストンであり、自身の貢献はハーモニウムであったと述べている。レングは、ハリスンとクラプトンがアコースティック・ギター、スターとジム・ゴードンがドラムを演奏したとしているが、ウィットロックによるとクラプトンとゴードンは本作の演奏には参加していないとのこと。本作にオーバー・ダビングされた要素の中には、ドレイクによるペダル・スティール・ギターが含まれている。 本作のセッション中にスペクターが常軌を逸した行動をとったことにより、ハリスンがプロジェクトの大半を1人でこなすこととなったが、1970年8月にハリスンの初期段階のミックスのテープを受け取ったスペクターは、ハリスンに書面によるフィードバックと指導を行った。この際にスペクターは本作について「とてもいい曲だから、君がどんな実直な(ボーカル)パフォーマンスをしても、僕としては受け入れられるよ」と書いているが、曲の冒頭のホーンのパートについては否定的な意見を述べている。しかしながら、このホーンのパートはそのまま残されることとなった。 本作は、イングリス曰く「不変的に安定した」ピアノ・コードで始まり、レング曰く「繊細な」ストリングスのオーケストレーションと、ホーン・セクションとペダル・スティール・ギターが加わってくる。イングリスは、本作のアレンジについて、「ハリスンの歌詞に見られる希望と憂鬱の相反する印象を反映している」と述べている。キャッツキル山脈でのセッションに忠実な本作のレコーディングは、ザ・バンドの「ザ・ウェイト」やバンド名を冠した2作目のアルバムを想起させる演奏となっている。
※この「アルバム『オール・シングス・マスト・パス』のセッション」の解説は、「オール・シングス・マスト・パス (曲)」の解説の一部です。
「アルバム『オール・シングス・マスト・パス』のセッション」を含む「オール・シングス・マスト・パス (曲)」の記事については、「オール・シングス・マスト・パス (曲)」の概要を参照ください。
- アルバム『オール・シングス・マスト・パス』のセッションのページへのリンク