アルドレスの和約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/23 20:29 UTC 版)
「第五次イタリア戦争」の記事における「アルドレスの和約」の解説
1545年9月までに戦争が完全なステイルメイトとなった。どの国も兵員と資金の不足になやまされ、ドイツのプロテスタント諸侯に支援を乞うたが失敗した。ヘンリー、フランソワ、カールの3人の王は外交努力で突破しようとしたが、3人の相互不信で失敗した。1546年1月、ヘンリーは初代ハートフォード伯エドワード・シーモアをカレーに派遣し、フランスでの戦闘を再開しようとしたが結局何も起きなかった。 フランスにはもう戦争をおこす力がなく、ヘンリー8世はブローニュの処分だけが関心事であった。利害の一致した二人は5月6日に交渉を再開した。1546年6月7日、アルドレス(英語版)の和約がフランス代表とイングランド代表の間で署名された。条約の定めによると、イングランドは1554年までブローニュを領有し、その後はフランスが2百万エキュで買い戻す。その間、付近での築城は禁止され、フランソワはヘンリーへの年金支払いを再開する。2百万エキュという値段を聞くと、神聖ローマ帝国の外交官は「これでブローニュは永久にイングランドの手に残るだろう」とヘンリー8世に言ったという。 条約ではスコットランド問題の処置もなされた。スコットランドは条約に署名できなかったが、休戦の効力が及ぶとされ、ヘンリー8世は無意味にスコットランドを攻撃しないことを約した。これによりスコットランドはしばし休息の時間を得たが、戦いは18ヵ月後に再開した。
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