アメリカへの凱旋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:12 UTC 版)
「クリント・イーストウッド」の記事における「アメリカへの凱旋」の解説
1966年と1967年に三部作の英語吹替えに参加したが、イーストウッドはインタビューの中で不満を吐露している。一方、イーストウッドには三部作を通して「タフガイ」のイメージが定着し、レナードは『ローハイド』とレオーネ映画の要素を取り入れた西部劇映画『奴らを高く吊るせ!』の仕事を彼に持ち込んだ。しかし、ウィリアム・モリス・エージェンシーは、より大きな収益が見込める『マッケンナの黄金』に出演させようと考えていたが、イーストウッドは『奴らを高く吊るせ!』の脚本を気に入り、こちらへの出演を希望した。イーストウッドは出演料40万ドルと収益の25%を受け取る契約を結び、牛泥棒の濡れ衣を着せられ殺されそうになるカウボーイ・クーパー役を演じた。 1967年、イーストウッドは三部作で得た資金を基に、レナードの助けを借りて長年憧れていた映画製作会社を設立した。社名は、モントレー郡にあるイーストウッドの邸宅の側を流れる川の名前にちなみ、「マルパソ・プロダクション(英語版)」と名付けられた。社長にはレナードが就任し、彼はユナイテッド・アーティスツと交渉して『奴らを高く吊るせ!』を共同製作することを実現させた。イーストウッドはインガー・スティーヴンス(英語版)にヒロイン役をオファーし、彼に好感を抱いた彼女は出演を快諾した。主要キャストにはエド・ベグリー、パット・ヒングル、ベン・ジョンソンなどを起用し、6月からニューメキシコ州ラスクルーセスで撮影が開始された。イーストウッドは製作にも関与し、脚本の一部を変更している。映画は1968年に公開され、ボルチモアでは初日の興行収入が5,241ドルを記録し、当時の007シリーズを上回る興行成績を記録した。また、バラエティの映画ランキングでは5位となり、公開2週間で製作費を回収した。ニューヨーク・ポストなどの批評家からも絶賛され、「質、勇気、危険、興奮を兼ね備えた西部劇」と評価された。
※この「アメリカへの凱旋」の解説は、「クリント・イーストウッド」の解説の一部です。
「アメリカへの凱旋」を含む「クリント・イーストウッド」の記事については、「クリント・イーストウッド」の概要を参照ください。
- アメリカへの凱旋のページへのリンク