アメリカへの伝播
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 16:10 UTC 版)
「プリミティーヴォ」の記事における「アメリカへの伝播」の解説
1822年にニューヨークの苗木商のジョージ・ギブスがオーストリアの苗木商から取り寄せた28種の苗木の中に含まれていたのが、最も早い輸入事例と考えられている。ギブスからこれらの品種の苗木を購入したロングアイランドの苗木商、ウィリアム・ロバート・プリンスが、ハンガリー産とされていた黒ブドウの品種に「ブラック・ジンファーデル・オブ・ハンガリー(Black Zinfardel of Hungary)」という商品名を与えてカタログ販売を行ったことが、「ジンファンデル」の名の由来とされる。その後、プリンスと取引のあった園芸家のジョン・フィスク・アレンが「ジンファーデル」から「ジンファンデル」への改称を提案し、「ジンファンデル」の名称が誕生した。また同じ品種が「ブラック・セント・ピーターズ(Black St. Peters)」の名前で販売されることもあった。 19世紀前半には主に東海岸で栽培されていたが、19世紀後半にはカリフォルニアでも「ブラック・セント・ピーターズ」の栽培記録が出現する。これらの苗木は東海岸より買い付けられたものと推測されている。後にジンファンデルの名称が普及すると、ブラック・セント・ピーターズとして栽培されていた畑の木もジンファンデルと呼ばれるようになった(この時期には「ジンファンダル(Zinfandal)」「ジンフェンサル(Zinfenthal)」などの綴りも見られる)。 一方、19世紀後半には東海岸でも温室を必要としないコンコードが普及し、ジンファンデルの東海岸での人気は衰えた。 1880年代にはカリフォルニアで最も人気のある品種がジンファンデルとなっていた。 なお、異説としてアゴストン・ハラジーというハンガリー人がメキシコ政府から依頼されてヨーロッパから輸入したブドウの中にジンファンデル種が含まれていたという説もある。
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