アメリカの女子大学の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:30 UTC 版)
「女子大学」の記事における「アメリカの女子大学の歴史」の解説
アメリカでは、当初、ほとんどの大学が男子学生しか受け入れていなかったため、女子の高等教育の場として女子大学が作られた(初の共学大学であるオベリン大学 (Oberlin College) の創立は1833年。1860年までに共学となった大学は5つに過ぎなかった)。特に1837年から1889年にかけて創立された東部の7つの女子大学は「セブン・シスターズ」として知られている(しかし、この中で女子のみ受け入れ、なおかつ他の大学に従属していないものは4大学のみである)。当初は良家の娘が入学し、教養を磨くといった「良妻賢母」を育成するような意味合いが強かった。ウェルズリー大学にはマナー講座があり、実際に1950年代には在学中に結婚する女子学生が多かった。男女共学の四年制大学が増えたことに加え女性の社会進出が活発化すると徐々に人気が下がり始め、1960年代に250校あった女子大学は徐々に共学化に踏み切り、現在[いつ?]では60校未満を残すのみとなった。しかし、近年は女性実業家に代表される「自主性」を育成することを中心にした大学や、マイノリティの受け入れなどに踏み切り、急激な学生の減少はなくなっている。女子大学出身で有名なのは、ウェルズリー大学を卒業しイェール大学ロースクール(イェール大学法科大学院)に進んだヒラリー・クリントンであろう。このように現在の女子大学は、共学の四年制大学と変わらない性格をもつ。学部中心の教育を行っているために有名大学の大学院に合格する確率が高い大学もある。また、女子大学の中には、学部課程プログラムの一部や大学院課程に若干の男子学生を受け入れているところもある。
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