アメリカのパスタ文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:04 UTC 版)
イタリアからアメリカへの移民は、ナポリ近傍のカンパニア地方、およびシチリア出身者が多かった。彼らは母国から輸入したパスタを食べていたが、その食文化は他のアメリカ人には広まらなかった。というのは、先に移住していた豚肉食文化のドイツ系移民による同化政策があったためである。イタリア系移民の家庭にはケースワーカーが送り込まれて肉食が奨励され、具なしパスタのようなエスニックな食文化は修正されていった。 パスタはイタリアでは富裕層にとってコース料理の中の一品、貧困層にとって単品ですべてを満たす手軽な食事という二面性を持っていたが、アメリカでは後者の側面が強まった。パスタはアメリカ人の嗜好に合わせて大衆化し、その結果として生まれたのが、スパゲッティにトマトソースとミートボールとパルメザンチーズを合わせた「スパゲッティ・ウィズ・ミートボール」であった。この料理は世界恐慌の折に安価な料理としてイタリア系以外のアメリカ人にも広まったという。 ボアルディ(英: Ettore Boiardi)兄弟は、スパゲッティの缶詰を製造し、第二次世界大戦ではアメリカ陸軍へ供給する契約を取りつけることに成功した。アメリカ人は、兵隊食(Cレーション)の缶詰スパゲッティでいっそうスパゲッティに親しむことになった。この缶詰のスパゲッティにはケチャップに近いソースが使われていて、やわらかく、ぎっとりして甘いものだった。 缶詰スパゲッティに慣れたアメリカ人はコシのないやわらかい麺に慣れ親しみ、その嗜好に合わせる形で、現地で生産されるスパゲッティも硬質小麦ではなく軟質小麦を用いたやわらかいものになった。 こうしてアメリカ人は“ケチャップあえのスパゲッティ”を好むようになり、この嗜好がGHQと共に日本に伝わることになる。
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