アメリカのための製造会社として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/26 14:21 UTC 版)
「カナディアン・ロコモティブ・カンパニー」の記事における「アメリカのための製造会社として」の解説
1948年、CLCはボールドウィンのカナダ代理店となった。ボールドウィンは、ホイットコム・ロコモティブ・ワークスの親会社である。しかしながら、このコラボレーションは失敗に終わった。ホイットコムがカナディアン・ナショナル鉄道(CNR)向けに製造したスターリングエンジンは問題が多く、ボールドウィンに発注された両数は控えめであった。そこで、CLCは、機関車製造事業に進出する機会をうかがっていたフェアバンクス・モースに接近した。ボールドウィンが持つCLC株は、1950年に新たに設立されたカナディアン・フェアバンクス・モースに売却された。発注される規模は拡大し、とくにトレインマスターやコンソリデーテッド・ライン(通称Cライナー)がその代表である。 しかしながら、フェアバンクス・モースの設計は、アメリカン・ロコモティブの設計によるモントリオール・ロコモティブ・ワークス(MLW)製のものやエレクトロ・モーティブ・ディーゼル(EMD)の設計によるゼネラルモーターズ・ディーゼル(GMD)製のものが開拓した市場にはマッチしなかった。1957年までに発注はなくなり、フェアバンクス・モースはアメリカでもカナダでも機関車製造事業から撤退してしまう。ボールドウィンとMLWもやがて撤退し、カナダ市場においてはゼネラル・エレクトリックとGMDのみが残った。 それ以前に、CLCは政府機関の援助を受けて、ダベンポート・ベスラー設計の小型の産業機関車を海外に輸出することを考えていた。1955年、CLCはポーターの機関車を製造していた同社を買収してカナダ唯一の液体式ディーゼル機関車を製造、CPRに納めた。 1965年7月26日、CLCはフェアバンクス・モース(カナダ)となり、カナダでの独立した企業ではなくなった。フェアバンクス・モースとして工業用機械や船舶エンジン、ハカリなどの分野に進んだために機関車の製造は減少した。1969年4月のストライキにより、6月には工場を閉鎖。1971年には3000両の機関車を製造し、カナダ第二位の機関車製造規模を誇った工場は取り壊された。
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