アブドゥッラーとの会談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 07:02 UTC 版)
「カイロ会議 (1921年)」の記事における「アブドゥッラーとの会談」の解説
3月28日、ウィンストン・チャーチル植民地相は、アブドゥッラー首長と数回にわたって会談を行った。既にアブドゥッラーは、アンマンに基盤を築いており、さらに北上すると迫っていた。チャーチルは、アラブ人総督の下でトランスヨルダンを、アラブ州として構成し、総督は、自国の行政に対するイギリスの管理を認めた上で、パレスチナ・トランスヨルダン高等弁務官(英語版)に責任を負う形態を提案した。アブドゥッラーは、高等弁務官への責任を負う委任統治領パレスチナ全土の支配権を与えるべきだと主張した。もしくは、弟に約束された領土であるイラクとの統合を主張した。チャーチルは、どちらの要求も拒否した。 アブドゥッラーが、ヨルダン以西の地域がユダヤ人国家と化す事に対する懸念を示したのに対し、チャーチルは「短期間に何百、何千ものユダヤ人が流入して、先住民を支配する事」は想定されていないばかりか、全く不可能であると断じた。「ユダヤ人の移住は非常にゆっくりとしたプロセスで行われ、ユダヤ人以外の先住者の権利は厳格に保護されるだろう。」 「トランスヨルダンにパレスチナの現在の行政制度は適用されず、したがって委任統治におけるシオニスト条項は適用されない。トランスヨルダンでは、ヘブライ語が公用語となる事はなく、地元政府はユダヤ人の移住や植民を促進するいかなる政策を採用する事はないだろう。」ハーバート・サミュエルは「そこにユダヤ人政府を設立する事は問題ない......アラブ人から土地を奪う事も、ムスリムの信仰に干渉する事もない。」とイギリスのパレスチナ政策について付け加えた。 イギリスの代表は、もし、アブドゥッラーがシリアの国家主義者の反仏活動を鎮める事ができるなら、弟のメソポタミア統治に対するフランスの反対を抑え、さらにはアブドゥッラー自身がダマスカスでシリア首長になれる可能性もあると示唆した。 最終的にアブドゥッラーは、フランス勢力圏への進軍を止め、半年の間ヨルダン川東岸部の領土を試験的に統治する事に同意し、その間、イギリスから月額5,000ポンドの補助金が支給される事になった。
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