アナウンサー、ラジオパーソナリティー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:57 UTC 版)
「ジャイアント馬場」の記事における「アナウンサー、ラジオパーソナリティー」の解説
クイズ番組でも馬場の体の大きさに関するネタが使用されたことがある。酒井法子が当時使っていた「のりピー語」では、「馬場ピー」は「大きい」を意味していた。1988年に放送された第12回アメリカ横断ウルトラクイズの第4チェックポイント・アラスカ鉄道で、司会者の福留功男が「馬場ピー」の意味に関する問題を出題、解答者が「汚い」と珍解答をしてしまうという珍事が発生した。福留は「馬場さん怒るよ」と笑い、この語は当該解答者のニックネームになった。 伊集院光が三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭圓楽)の弟子として落語家の修行していた時代、プロレス業界と交流が深い楽太郎と馬場が話をしていたとき、同行していた伊集院の身体と足の大きさを見て、馬場は行きつけの靴屋にオーダーメイドで靴を作らせるよう注文をして伊集院にプレゼントしたことがある。馬場も身体の大きさからなかなか自分のサイズにあった靴を見つけられなかった経験があるが故に伊集院に同情したためであるという。しかしその靴屋はハワイにあり、当時楽太郎の弟子でお金が無かった伊集院には行けず、その靴は楽太郎がハワイ旅行に出かけた折に受け取ってもらった。 馬場は死去する約2か月前「徹子の部屋」へ2週にわたり出演したが、これが一般視聴者へプロレスについての最後のメッセージの場となった。馬場は受けの説明等を行い、このとき初めてテレビで歌も歌った。また弟子のハル薗田の飛行機事故死がきっかけで飛行機が怖いとコメントしていた。また黒柳徹子へはスクワットのやり方を教えた。黒柳はこれがきっかけで今でも毎日スクワットをしており、黒柳は「スクワットは馬場さんの遺言」と語っている。
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