アディ・ギル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/16 05:47 UTC 版)
「アースレース」は日本の調査捕鯨活動に対する抗議を実行しているシーシェパードに対して2009年から2010年にかけて予定された抗議活動(ワルチング・マチルダ作戦)に同行するとした。 2009年10月17日に支援に合意し、船名が抗議活動のスポンサーの名をとって「アディ・ギル」に改名されたと同時に船体も黒に塗りなおされた。 2010年1月6日、南極海にて日本の調査捕鯨船「第2昭南丸」に突撃し、乗組員6名は他の抗議船に救助された。衝突をめぐり、シーシェパードと日本鯨類研究所の双方が衝突の瞬間のビデオを公開し、互いの操船を非難している。また、シー・シェパード側は、真っ二つになったと発表したが、実際には即時沈没は免れた。 アディ・ギルはフランスの南極観測基地デュモン・デュルヴィル基地へ向けて、別の抗議船ボブ・バーカー号に曳航されていたが、現地時間1月8日早朝に放棄された。気象条件は船の引き上げに支障がないと当初は報じられていたが、曳航の過程で浸水がよりひどくなっていた。衝突後の船体からの燃料漏れが目撃されていたことから、日本鯨類研究所はアディ・ギルの海上での放棄を、燃料による海洋汚染が懸念されると批判していた。 シーシェパードは当初アディ・ギルは沈没したと主張し、沈没したことによって更なる抗議行動が中断することはありえないとしていた。アディ・ギル喪失の損失は150万ドルにのぼると見積もられるが、支援者は「アディ・ギル2」建造のために100万ドルの寄付を申し出ているとされる。 なお、2010年10月7日、衝突事件時のアディ・ギル船長であったピーター・ベスーンがラジオ・ニュージーランドに出演しインタビューに答えたが、その中でベスーンは、アディ・ギルの沈没について、アディ・ギルは曳航可能な状態であったが、シー・シェパード代表のポール・ワトソンの指示により、テレビ映えする刺激的な映像を撮り世間の同情を買うことを目的に、シー・シェパードがアディ・ギルを自ら沈没させ南氷洋に放棄した、偽善的な自作自演の行為であったことを暴露している。
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