アッシュル・ナツィルパル2世の王妃
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「ムリッス・ムカンニシャト・ニヌア」の記事における「アッシュル・ナツィルパル2世の王妃」の解説
ムリッス・ムカンニシャト・ニヌアは古代アッシリアの首都ニムルドの北西宮殿の遺跡にあるニムルドの王妃募群(英語版)で1989年に見つかった彼女の墓と副葬品からのみ知られている 。そのため名前以外に彼女についてわかっていることは非常に少ない。彼女のサルコファガス(石棺)の蓋にある碑文によれば、彼女はアッシュル・ナツィルパル2世(在位:前883年–前859年)の王妃である。ムリッス・ムカンニシャト・ニヌアの石棺は埋葬室の入り口よりも幅が広いことから、墓所ができあがるより前に石棺が作られたことがわかる。このことから、彼女は恐らく北西宮殿内の墓に埋葬された最初の人物である。 アッシュル・ナツィルパル2世より前の2名のアッシリア王(アダド・ニラリ2世〈在位:前911年-前891年〉とトゥクルティ・ニヌルタ2世〈在位:前891年-前884年〉)の王妃はわかっておらず、現在のところムリッス・ムカンニシャト・ニヌアは新アッシリア帝国の王妃の中で知られている最初の人物である 。彼女は新アッシリア帝国の王妃の中で家族の背景と出自についての情報がある唯一の人物である。彼女の葬送碑文によって彼女がアッシュル・ナツィルパル2世の「大献酌官(great cupbearer)」Ashur-nirka-da' 'inniの娘であることが特定できる。Ashur-nirka-da' 'inniはリンム(紀年官)表で前860年のリンム職(この役職にある人物の名前がその年の名前となる)を務めている同名の人物と同一人物である可能性がある。マイケル・ローフ(英語版)は1995年にAshur-nirka-da' 'inniの大献酌官任命とリンム職就任はムリッス・ムカンニシャト・ニヌアとアッシュル・ナツィルパル2世の結婚と合わせてのものであり、従って彼女は(より以前に結婚した未知の王妃に続く)2番目の王妃で、結婚生活は短かったであろうと主張したが、これは推測である。Ashur-nirka-da' 'inniが大献酌官の地位をずっと早い時期から持っており、リンム職の名誉にあずかったのはずっと後のことであった可能性も同程度にある。Ashur-nirka-da’’inniとムリッス・ムカンニシャト・ニヌアの名前は典型的なアッシリア人の名前であり、またAshur-nirka-da’’innが高い地位にあることから、この親子はアッシリアの貴族階級に属していたものと考えられる。
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