アステラス製薬の誕生
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「アステラス製薬」の記事における「アステラス製薬の誕生」の解説
1990年代から加速した海外製薬企業の大型合併劇に合わせ、日本でも製薬業界の再編の必要性は早くから叫ばれていた。各社が方向性を手探りする中、藤沢薬品の青木初夫社長(当時)と山之内製薬の竹中登一社長は互いを合併のメリットを引き出せるパートナーとして認め、交渉を進めてきた。アメリカに販路を持つ藤沢とヨーロッパに強い山之内、天然物からの創薬を得意とする藤沢と合成医薬に強みを持つ山之内の組み合わせは、重点地域や主力医薬品が重複しないこともあり早くから合併には最適という観測が成されていた。 まず2004年10月1日に山之内製薬と藤沢薬品工業の一般家庭向け医薬品事業を統合し、「ゼファーマ」として分社化した。さらに2005年4月1日には本体同士が合併、アステラス製薬として新たなスタートを切った。なお法人格上は山之内製薬を存続会社とする吸収合併の形態をとっているが、精神としてはあくまで対等合併という建前をとり、社名も古いブランドを捨てて新しいブランドを名乗っている。 本社ビルは山之内製薬の本社があったビル(東京都中央区日本橋本町二丁目3番11号)をそのまま用いていたが、2013年に日本橋アステラス三井ビルディング(日本橋本町二丁目5番1号)に移転した。 もともと業界3位であった山之内と5位であった藤沢は、合併によって武田薬品に次ぐ2位に浮上した。初代社長には旧山之内の竹中登一が就任、旧藤沢の青木初夫は会長に納まった。2006年6月には新社長に藤沢出身の野木森雅郁が就任している。
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