アウグスティヌス 懐疑主義との対決とは? わかりやすく解説

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アウグスティヌス 懐疑主義との対決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 16:16 UTC 版)

「真理」記事における「アウグスティヌス 懐疑主義との対決」の解説

アウグスティヌス若き日懐疑主義となったが、のちに神学者として宗教的真理」を探究した人物である。彼は、懐疑主義者に対し、「わたしも疑う。ゆえにわたしは存在する。わたしは間違える。ゆえにわたしは存在する」として自己の存在確実性を盾にした上で神学者として、わたしは神と自らの魂を認識したいと望む。ここから真理探究が始まる。 プラトンによればこの世仮象世界であって真は存在しない。しかし、アウグスティヌスは、この点を修正し世界ロゴス真理によって創造されのであるから、存在するものはすべて真である、とする(真理存在論側面)。それは、ヨハネ伝に、すべてのものはロゴスからできたとあるからである。人もこの世界被造物一つであり、その限りで魂は真理つながっており、魂は真理認識することができる(真理認識論的側面)。そして、魂は「わたし」という意思であり、存在する実体であり、自律している。それゆえに、魂は探求するが、彼を探求に導くものは愛であり、愛は最後憩いの場として万有根源である神を求める。万有根源である「神は存在である」(Deus est esse)。神が自己自身認識することによって、われわれの認識が始まる。神は認識原理であるとともに真理である。人は真理認識するためには、感覚外的人間)に頼るのではなく理性内的人間)によらなければならない創世記には、神は人間神の似姿として創ったとあり、神に似るのは動物にはない人間のみが有する理性部分だからである。理性は外に向かうのではなく内部向い、それを超えた至福果て真理を見る(真理幸福論側面)。 彼の真理論は、プラトン真理を神とは独立別個のイデア直結させていたのを修正しつつも、大筋においてプラトン真理論承継したものといってよい。彼の真理論は後にデカルト懐疑論克服多大な影響与えた

※この「アウグスティヌス 懐疑主義との対決」の解説は、「真理」の解説の一部です。
「アウグスティヌス 懐疑主義との対決」を含む「真理」の記事については、「真理」の概要を参照ください。

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