アウグスティヌス 懐疑主義との対決
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「真理」の記事における「アウグスティヌス 懐疑主義との対決」の解説
アウグスティヌスは若き日に懐疑主義の虜となったが、のちに神学者として「宗教的真理」を探究した人物である。彼は、懐疑主義者に対し、「わたしも疑う。ゆえにわたしは存在する。わたしは間違える。ゆえにわたしは存在する」として自己の存在の確実性を盾にした上で、神学者として、わたしは神と自らの魂を認識したいと望む。ここから真理の探究が始まる。 プラトンによれば、この世は仮象の世界であって真は存在しない。しかし、アウグスティヌスは、この点を修正し、世界はロゴス・真理によって創造されたのであるから、存在するものはすべて真である、とする(真理の存在論的側面)。それは、ヨハネ伝に、すべてのものはロゴスからできたとあるからである。人もこの世界の被造物の一つであり、その限りで魂は真理とつながっており、魂は真理を認識することができる(真理の認識論的側面)。そして、魂は「わたし」という意思であり、存在する実体であり、自律している。それゆえに、魂は探求するが、彼を探求に導くものは愛であり、愛は最後の憩いの場として万有の根源である神を求める。万有の根源である「神は存在である」(Deus est esse)。神が自己自身を認識することによって、われわれの認識が始まる。神は認識の原理であるとともに真理である。人は真理を認識するためには、感覚(外的人間)に頼るのではなく、理性(内的人間)によらなければならない。創世記には、神は人間を神の似姿として創ったとあり、神に似るのは動物にはない人間のみが有する理性部分だからである。理性は外に向かうのではなく、内部に向い、それを超えた至福の果てに真理を見る(真理の幸福論的側面)。 彼の真理論は、プラトンが真理を神とは独立別個のイデアに直結させていたのを修正しつつも、大筋においてプラトンの真理論を承継したものといってよい。彼の真理論は後にデカルトの懐疑論の克服に多大な影響を与えた。
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