つぎの世は亀よりも蛇鳴かせたし
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
春 |
出 典 |
草影 |
前 書 |
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評 言 |
本句は最後の第十句集『草影』に収められている。二〇〇〇年(平成十二年)八十五歳の時の作である。実は前年に「亀鳴くを聞きたくて長生きをせり 信子」という世評の高かった一句がある。本句はそれを踏まえている事は明らかであり、解釈の大かたは尽きてしまうほどである。 信子の句には、水に関する句が多いと言われるが、他に日および影(陰)・風・波・山・幹などの無生物が数多い。一時は無季俳句の現代仮名遣いの時代もあった。蛇と亀が、鷹・海鼠・羽抜鳥などと共に現われるのは、第七句集『草樹』の七十歳位の時からである。特に第八句集『樹影』の「草の根の蛇の眠りにとどきけり 信子」は有名句になった。 さて、本句の季語は「蛇」であろうか。『桂信子全句集』の季語別では「亀鳴く」の部に分類されているのは興味深い(なお、前出の「草の根の‥‥」が、夏の蛇の部に分類されているのは少しおかしい。蛇の冬眠とすべきであろう)。直接「亀鳴く」とは言っていないが、「亀よりも」によって間接的に鳴かせていると見たものであろう。句集ではこの前句に「亀鳴くや身体のなかのくらがりに 信子」があり、信子自身もそのつもりのようだったと納得している。いずれにしても、鳴かない者を鳴かせようとしている訳で、信子俳句にしては虚の色彩が濃い、めずらしいほどの俳諧ぶりである。「平明で内容は滋味に」の「草苑」の詠みぶりから見ると、やや理に走った傾向の句で、一級品でないかも知れない。しかし、老境に入って、スローガンより個人として詠みたいものを自由自在に詠む心境の証左を認めたいものである。 |
評 者 |
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備 考 |
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