たのしい授業の提唱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:32 UTC 版)
1983年に板倉は新しい月刊誌『たのしい授業』を仮説社から創刊した。その創刊前の宣伝パンフレットには「たのしい授業の実現こそ、子ども・教師・学校・教育・研究をよみがえらせる一番確かな、一番の早道である」とその意義を宣言している。板倉が「たのしい授業」を前面に押し出す方向に踏み出したのは「今、日本の教育は明治以来かつてないほど荒廃しています。それは教育の量的拡大がかなり満足すべき状態に達してきたという状況によると言っても良いでしょう」と、1980年当時の日本の教育の状況を見たからだとしている。そして「制度の枠を超えて大胆な研究をすすめることなしには、この教育の荒廃を救う道はない」とで述べた。雑誌『たのしい授業』は「そのような現実の中で楽しく生きる知恵を生み出す媒体として創刊される」とその目的を述べている。 板倉は1991年の『たのしい授業』の101号で「私たちは反発の声を予想しながらも、あえて「たのしい授業」と題した本誌を創刊した」と当時の様子を振り返っている。現在では「たのしい授業」という言葉は教育関係者に一定の市民権を得て普及したと言えるが、一方で板倉は「具体的な手立てを提供することなしに「たのしい授業」という言葉だけが普及したら、それこそ現場の教師や子どもたちを苦しめるだけのことになっていく」と警鐘も鳴らしている。
※この「たのしい授業の提唱」の解説は、「仮説実験授業」の解説の一部です。
「たのしい授業の提唱」を含む「仮説実験授業」の記事については、「仮説実験授業」の概要を参照ください。
- たのしい授業の提唱のページへのリンク