その後の歴史と終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 02:52 UTC 版)
「エセックス王国」の記事における「その後の歴史と終焉」の解説
エセックス王国は比較的無名であったにもかかわらず、エセックス王スレッダとケント王エゼルベルトの妹リクラが結婚したように、テムズ川を挟んだケント王国との間に強い関係を持っていた。8世紀の短期間、エセックス王国は南部にケント王国を含んでいた。この期間中エセックス王は、恐らく彼ら自身の独立の主張として、彼ら自身のコイン (Sceat)を発行していた。しかし8世紀中頃までに、ロンドンを含むエセックス王国の大部分はマーシアの手に落ち、大まかに言えば現在のエセックスカウンティに当たる部分だけが残され、エセックス王国はマーシアに従属した。825年頃のマーシア王ベオルンウルフの敗北の後、エセックス王国最後の王シゲレッド(英語版)はエセックスを占領していたウェセックス王エグバートに王国を割譲した。 エセックス王国がウェセックスに併合されて以降もマーシアは獲得していた元エセックス王国の地域を支配し続け、825年に東サクソン人の王シゲリックがマーシアのチャーターに署名して以降、恐らくマーシアはエセックス王位を望む者を支援した。9世紀の間のエセックスは、エセックス、サリーおよびケントを含んだ下位の王国の一部であった。878年から886年の間、エセックスはウェセックスのアルフレッド大王とデーン人の首長グスルムとの間に交わされた条約(en)の下に、イースト・アングリアのデーンロウへと割譲された。その後、この地域はアルフレッド大王の息子であるエドワード長兄王によって再征服された。エセックスにおける王の代理人はエアルドルマン(英語版)と呼ばれ、エセックスは国ではなく地方(シャイア)として考えられるようになっていった。
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