その後の櫛橋氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/31 04:10 UTC 版)
「櫛橋家系図」によると子には3男2女があり、別所氏への人質として三木城におり落城とともに自害した長男・三郎を除いてはみな幼かったので、いずれも志方落城を前にして城から逃れ出たとされる。また三人いた政伊の弟たちも難を逃れたらしい。後に政伊の妹婿にあたる黒田氏が豊臣家臣として台頭すると、生き残った櫛橋一族の多くは黒田氏に仕え福岡藩士として存続した。政伊の家督は、次男・定重が継承したようである。
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