じゅんな‐てんのう〔ジユンワテンワウ〕【淳和天皇】
淳和天皇
藤原百川の娘藤原旅子を母とする。
藤原薬子の乱の後、廃太子となった高丘親王に代わり立太子した。
823年嵯峨天皇から譲位を受けて即位した。
皇太子には嵯峨上皇の第二皇子の正良親王を立てた。
淳和天皇は「勘解由使」を政治の刷新を図るため復活設置し、良吏の積極登用、勅旨田の設定、親王任国制を導入するなど政治の刷新と皇室の財政強化を図った。
またこの時代に「日本後紀」の編纂が進められ、また「令義解」が完成した。
全体として平穏な時代で平安文化も花開いた時代といえる。
| 第53代天皇 | |
| 天皇名 | 淳和天皇 |
| 読み方 | じゅんなてんのう |
| 名・諱等 | 日本根子天高譲弥遠尊 |
| 読み方 | やまとねこあめたかゆずるいやとお |
| 時代区分 | 古代 |
| 天皇在位 | 823年から833年 |
| 生年 | 786 |
| 没年 | 840 |
| 父 | 桓武天皇 |
| 母 | 藤原旅子 |
| 兄弟 | 神野親王・安殿親王・正良親王 |
| 配偶者 | 正子内親王 |
| 皇子女 | 恒貞親王・恒世親王 |
| 即位宮 | 平安京 |
| 天皇陵 | 大原野西嶺上陵 |
| 所在地 | 京都市西京区大原野南春日町 |
淳和天皇 大原野西嶺上陵
(じゅんなてんのう おおはらののにしのみねのえのみささぎ)
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