金大中大統領(きむでじゅんだいとうりょう)
1925年生まれの政治家である。民主化運動に長く携わり1976年の「光州事件」では運動の首謀者として危うく死刑にされかけた、という経歴を持つ。
1976年、1987年、1992年、と過去3回の大統領選に出馬したが、いずれも次点で敗北。1997年、4度目の大統領選挙でついに当選を果たした。
金大統領は太陽政策を推進するなど、北朝鮮との関係講和に尽くしてきた。2000年3月9日には、大統領はベルリン自由大学の演説の中で「北朝鮮の経済危機克服に向け、政府レベルで本格的に支援する」という趣旨を含めた、4項目からなるベルリン宣言を発表した。
これが北朝鮮の関心を捉え、南北首脳会談実現の「決め技」になったと言われる。太陽政策はなかなか芽が出ず、各界からの風当たりも強かった大統領であるが、南北首脳会談の実現という具体的な成果をようやく出すことができた。
大統領は2000年1月、米国でフィラルフィデア自由賞を受賞している。これは、自由と民主主義に寄与した人に与えられる賞である。同賞受賞の記念演説では大統領は「(北朝鮮との)平和共存の新時代を開くための和解と協力を求める」と述べ、太陽政策への協力を各国に呼びかけていた。
(2000.06.16更新)
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