きっかわ‐ひろいえ〔キツかはひろいへ〕【吉川広家】
吉川広家
吉川広家(きっかわ ひろいえ) 1561~1625
◇父:吉川元春 室:豊臣秀吉養女(宇喜多直家女) 子:吉川才太郎、広正、吉見就頼
安芸・毛利氏一族。父に従い各地を転戦、1572年一族宮庄氏を嗣ぐ。主家が豊臣秀吉の傘下に付いた際には、小早川秀包と共にその人質となる。兄元長死後、吉川氏家督を継いだ。朝鮮出兵にも参加するが、安国寺恵瓊らと意見の齟齬が表面化した。関ヶ原の戦いでは主家と共に西軍に属したが、兵を動かさせず傍観し、主家毛利氏を東軍方徳川氏に取りなす為奔走した。結果、家康が広家に与えようとした防長2国を毛利氏に与えるよう願い出、広家はあくまで毛利一門として、初代岩国藩主となる。又、次男就頼は大野毛利家を興す。
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