かつて揺れ動いたものであった石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 08:32 UTC 版)
「ロッキングストーン」の記事における「かつて揺れ動いたものであった石」の解説
或る石はかつて、西ヨークシャーのハリファックス(Halifax)近くのウォーリー・ムーア(Warley Moor)のグリットストーン露頭の上で揺れ動いたものであった。1775年にそれはすでにジョン・ワトソン(John Watson)によって記述されたとき、揺れ動きを止めていた。 南西スコットランドのエアシア(Ayrshire)は、ロッキング・ストーンの形成に適している地質に恵まれている。いくつかのロッキング・ストーン、またはあるときロッキングしていた石が、そこにある。 数人がドルイド祭司らと関連づける或るロッキング・ストーンが、北エアシアのビース(Beith)近く、ヘシルヘッド(Hessilhead)のカフ・ヒル(Cuff Hill)にある。それはもはや、人々がその支点を確認するために下を掘ったために、揺れうごかない。それは小さな森の中にあり、円形のドライストーンの壁にとり囲まれている。1907年に、石がむりやり移動させられた理由にかんする記事が『Cumnock Chronicle』に公表された。 イースト・エアシアのダンロップ(Dunlop)近くの、オーガーストーン(Ogrestone)あるいはサーガートストーン(Thurgartstone)は、ロッキング・ストーンであったと考えられている。しかしながら、土壌が何年にもわたってサーガートストーンの基礎の周りに堆積し、今や揺れ動きをさまたげている。 1913年ー1919年に、或るロッキング・ストーンが、アラン島サノックスの、海岸に隣接するほとんど水平なプラットフォームに存在していた。 前述のように、ルガーのラマギー(Lamagee)またはラマーグル・ストーン(Lamargle stone)は、イースト・エアシアのルガー(Lugar)の村にある石の緩やかな収集の中心にある。ラマーグル・ストーンは石2つの上に休んでいる。地元の伝説によると、ラマーグル・ストーンはかつては揺れ動いたものであったが、しかしもはや揺れ動かない。Craigs o'Kyle の ウイッチズ・ストーン(Witch's Stone)またはボアストーン(Boarstone)は、作者ジョン・スミス(John Smith)によって揺れ動いたと記録されている。 スコットランド、レンフルーシャー(Renfrewshire)のハウウッド(Howwood)とキルバーチャン(Kilbarchan)の近くのクロコデリック・ストーン(Clochoderick Stone)はかつて揺れ動いたものであって、ドルイド祭司はそれを使って人々を判断したと言われている。被告人は石の上に座らせられ、ドルイド祭司はその石の揺れ動き方で、その個人の無実または罪を判断した。それはまたストラスクライドの王(King of Strathclyde)Rhydderch Haelの埋葬地であると言われてもいる。彼はボーダーズ(Borders)のアーサーエット(Arthuret)近くのアーデリッドの戦い(Battle of Arderydd)の勝者であった。彼の勝利はストラスクライドにキリスト教をもたらした。この石は非常に珍しく、それ自体が地質学にとって特別科学関心地区(Site of Special Scientific Interest)(SSSI)である。
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