ロッキングストーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/05 18:40 UTC 版)
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ロッキング・ストーン(Rocking stones(揺れ動く石の意)。ローガン・ストーン、logan stonesあるいはローガン、logansとも)は、非常に釣り合いが取れているために、わずかな力を加えるだけで揺れ動く石である。典型的には、ロッキング・ストーンは、まず球状風化によって形作られ、後に侵食または後退する氷河によって残された迷子石によって露出された、レジデンシャルなコアストーンである[1][2]。自然なロッキング・ストーンは世界中で見つかる[2]。数少ないロッキング・ストーンは人工の巨石記念物であるかもしれない。
名称
「"logan"」 という語は、十中八九 "log" という語に由来し、これは英語の方言で揺れ動くことを意味する。実際に、イギリスの一部地域では、ロッキング・ストーンまたはローガン・ストーンは、ロギング・ストーン(logging stones)と呼ばれている。 "log" という語は、「尾を振る」("wag a tail")ことを意味するデンマーク語『logre』と関連しているかもしれない。
「"logan"」という言葉は、酒に酔ったときの動きのコーンウォール語表現から来ていると示唆している人々もいる。[要出典]デイヴィス・ギルバート(Davies Gilbert)(1767年ー1839年)は書いている――
- わたしがずっと、トレリーン・ディナス(Trereen Dinas)の有名な石に Loging House という言葉を使用してきたことが述べられてよかろう。多くの学問的研究が、「ローガン・ロック」("Logan Rock")という名前に無駄に費やされたようにみえるTemplate:ASF。log は、酔った人のように震えることあるいは転がることにコーンウォール全体で一般的に使用される動詞であり、モデム現在分詞(modem present participle)の特徴である tug の地方の発音でしばしば聞かれる[独自研究?]。したがって、ロギング・ロック(Loging Rock)は、その独特の動きを厳密に描写している。
ロッキング・ストーンの例
このような石は、世界でイギリスその他でふつうである。たとえば、スペインガリシア州では、ロッキング・ストーンは『pedras de abalar』(ポルトガル語で、揺れる石の意)と呼ばれている[3]。
大プリニウス(23年-79年)は、Harpasa(小アジア、カリア)の近くの或る岩について書いている、「それは指1本で動かすことができるが、しかしそれはまた全身でなされる押しに抵抗する」("that can be moved with one finger, but that also resists a push made with the whole body")[4]。プトレマイオス(90年ころ-168年)は、Gygonianの岩について書いた。彼は、それは「アスフォデルでのみ動かすことができ、力で動かせないままである("can only be moved with an asphodel and remains immovable by force.")と書いた[5]。
スコットランドアイオナ島には、埋葬場の構内、十字架の台座の上に置かれた『na clachan-bràth』(スコットランドゲール語で砥石の意)と呼ばれる石複数があり、トマス・ペナント(Thomas Pennant)によれば、或る墓のサポートであった。[要出典]
カナダノバスコシア州ハリファックスの近くにある90〜95トンの巨大な迷子石は、レバーで揺り動かすことができるが、しかし以前はとても簡単に動いたものであり、その後、近くのハリファックス駐屯地からの船員の一団が1890年代にそれを揺り動かしてもっと安定した構成にし、その後、自治体のスプリーフィールド地区にあるキッドストン湖周辺に公園が開発された1980年代と90年代に過度の揺れ動きによってその基盤がすり減った。[要出典]それは人気のあるピクニックの目的地であったものである。ビクトリア朝時代には、人々はハリファックスから旅行し、それに登り、巨岩の上に座っている間優しく揺れる感覚を楽しみながら、ランチを広げるのがつねであった。[要出典]
ウェールズのポンティプリッド(Pontypridd)・ロッキング・ストーンは、ドルイドのストーン・サークルの中央にある。
ボシストー・ローガン・ロック(Bosistow Logan Rock)は、コーンウォールのゼナー(Zennor)近くのPendower Cove(Pendour Coveとも書かれる)の頭にある。それはあきらかに、海岸を監視する義務を負った地元の邸宅の領主の従業員によって発見された。入り江で船が難破していて、その後につづく活動を見守りながら、その従業員は巨岩にもたれかかった。突然、突風が起こり、巨岩が移動、あるいは「ログした」("logged")。この石塊の最も長いサイドは約15フィート (4.6 m)、その最大の端の周囲は約20フィート (6.1 m)である。重さは約20トンと考えられている。[要出典]
ロンドンのセント・ブライズ・チャペル(Saint Bride's Chapel)の近くにロッキングストーンが記録されている。ウィッチズまたはボアストーン(Witch's or Boarstone)は、エアシアのコイルトン(Coylton)近くのクレイグズ・オブ・カイル(Craigs of Kyle)の頂に立っている。重さは約30トンで、2つまたは3つの石の上に休んでいる。ウォレスの石(Wallace's stone)として知られる大きな立っている石が近くに立っていたと記録されている[6]。
サウス・エアシア(South Ayrshire)のリエカーアー湖(Loch Riecawr)近くでロッキング・ストーンが見つかっている[7]。
スコットランド、サウス・エアシアのストレイトン地区のノース・キャリックの教区で、ホワイトレイズの西約4分の1マイル、マーチ・ダイク近くに、ローガン・ストーン(Logan Stone)と称するロッキング・ストーンが存在する。ローガン・ストーンはグレーの花崗岩であり、硬砂岩の上にあり、片手で簡単に動かせる。それは4フィート3インチ (1.30 m)×4フィート (1.2 m)×高さ3フィート (0.91 m)である[8]。
フェロー島のエストゥロイ(Eysturoy)のOyndarfjørðurの村には有名な1対のロッキング・ストーンがある。これらは Rinkusteinar として知られる。地元の伝説によると、老魔術師が村を脅かしている海賊船2隻を呪い、それらを石に変えたという。本土(mainland)につながれた鎖が、岩の動きを見やすくしている[9]
スコットランド、エアシア(Ayrshire)のオーキンレック教区のルガー(Lugar)近く、グレンモア・ウォーター(Glenmore Water)との合流点近くのベロ(Bello)またはベロー・ウォーター(Bellow Water)のすぐそばのくぼ地に、ラマーグル(Lamargle)あるいはラマグリー・ロッキング・ストーン(Lamargee rocking stone)が、ある。それは垂直な石2つと、長さ約6フィート(約1.8288メートル)、幅3フィート(約0.9144メートル)、高さ4フィート(約1.2192メートル)の水平な石1つでできている。それはドルイドの記念碑またはカレドニアの英雄の墓と見なされた[10]。この石は、OSマップが間違った場所を示しているために、しばしば見過ごされる。それはラマーグル・ヒル(Lamargle Hill)にではなく、グレンモア・ウォーター(Glenmore Water)との合流点の上流のベロー・ウォーター(Bellow Water)のよこにある。
ビルマのチャイティーヨー・パゴダ(Kyaiktiyo Pagoda)は、ロッキング・ストーンでもある巨大な花崗岩の上に建てられた宗教的な社(やしろ)である。
ヒトによって形作られたいくつかの塊もまた、同様の動作を示す(ときどき意図せずに)。たとえば、ヨルダンジャラシュにあるローマの寺院の遺跡(「柱1000本の都市」("city of 1000 pillars"))では、いくつかの巨大な柱が微風で前後に動く[11]。
かつて揺れ動いたものであった石
或る石はかつて、西ヨークシャーのハリファックス(Halifax)近くのウォーリー・ムーア(Warley Moor)のグリットストーン露頭の上で揺れ動いたものであった。1775年にそれはすでにジョン・ワトソン(John Watson)によって記述されたとき、揺れ動きを止めていた[12]。
南西スコットランドのエアシア(Ayrshire)は、ロッキング・ストーンの形成に適している地質に恵まれている。いくつかのロッキング・ストーン、またはあるときロッキングしていた石が、そこにある。
数人がドルイド祭司らと関連づける或るロッキング・ストーンが、北エアシアのビース(Beith)近く、ヘシルヘッド(Hessilhead)のカフ・ヒル(Cuff Hill)にある。それはもはや、人々がその支点を確認するために下を掘ったために、揺れうごかない[13]。それは小さな森の中にあり、円形のドライストーンの壁にとり囲まれている。1907年に、石がむりやり移動させられた理由にかんする記事が『Cumnock Chronicle』に公表された。
イースト・エアシアのダンロップ(Dunlop)近くの、オーガーストーン(Ogrestone)あるいはサーガートストーン(Thurgartstone)は、ロッキング・ストーンであったと考えられている。しかしながら、土壌が何年にもわたってサーガートストーンの基礎の周りに堆積し、今や揺れ動きをさまたげている。
1913年ー1919年に、或るロッキング・ストーンが、アラン島サノックスの、海岸に隣接するほとんど水平なプラットフォームに存在していた[14]。
前述のように、ルガーのラマギー(Lamagee)またはラマーグル・ストーン(Lamargle stone)は、イースト・エアシアのルガー(Lugar)の村にある石の緩やかな収集の中心にある。ラマーグル・ストーンは石2つの上に休んでいる。地元の伝説によると、ラマーグル・ストーンはかつては揺れ動いたものであったが、しかしもはや揺れ動かない。Craigs o'Kyle の ウイッチズ・ストーン(Witch's Stone)またはボアストーン(Boarstone)は、作者ジョン・スミス(John Smith)によって揺れ動いたと記録されている。
スコットランド、レンフルーシャー(Renfrewshire)のハウウッド(Howwood)とキルバーチャン(Kilbarchan)の近くのクロコデリック・ストーン(Clochoderick Stone)はかつて揺れ動いたものであって、ドルイド祭司はそれを使って人々を判断したと言われている。被告人は石の上に座らせられ、ドルイド祭司はその石の揺れ動き方で、その個人の無実または罪を判断した。それはまたストラスクライドの王(King of Strathclyde)Rhydderch Haelの埋葬地であると言われてもいる。彼はボーダーズ(Borders)のアーサーエット(Arthuret)近くのアーデリッドの戦い(Battle of Arderydd)の勝者であった。彼の勝利はストラスクライドにキリスト教をもたらした。この石は非常に珍しく、それ自体が地質学にとって特別科学関心地区(Site of Special Scientific Interest)(SSSI)である。
移動させられたロッキング・ストーン
しばしば、摩耗、侵食、または人間の介入は、結果としてロッキング・ストーンをむりやり移動させている。
デヴォン
或る有名なロッキング・ストーンまたはローガン・ストーンは、ダートムーア(Dartmoor)のラスリー(Lustleigh)近くのシャーピター(Sharpitor)に位置した。それは Nutcrackers Stone(くるみ割り人形の石)とも呼ばれ、ときどきOrdnance Survey(イギリス陸地測量部)の地図に表示される。その巨石はかつて Lustleigh Cleave に張り出していたが、1951年に破壊者らがこの石を谷に押し下げた。石を谷から引き上げて救出する試みは失敗し、その結果、石は粉々に砕けた[15]。
1900年ころに、リッポン・トル(Rippon tor)にはロッキング・ストーン複数があり、ダートムーア(Dartmoor)にはシタフォード・トル(Sittaford tor)があった[16]。
ニューヨーク州ラーチモント
150トンの迷子石1つが、ニューヨーク州ラーチモント(Larchmont, New York)のロッキングストーン・アベニュー(Rockingstone Avenue)で発生する。これはかつて非常に釣り合いが取れていたために、ほんの少し触れるだけで前後に揺れ動いたものであった。不運なことに、1920年代に、近隣の新しい下水道システムの爆破によって岩がむりやり移動させられたために、それはもはや釣り合っていない。
ペンブルックシャー
ウェールズ、ペンブルックシャー(Pembrokeshire)のロッキング・ストーンについては、17世紀の好古家ウィリアム・カムデンのラテン語著作『Britannia』のエドモンド・ギブソン (Edmund Gibson) 英訳版に、ジョージ・オーウェン・オブ・ヘンリーズ(George Owen of Henllys)(1552年-1613年)の以下のような手記が収録されている――
- 「このシェイキング・ストーンは、セント・デイヴィッズ(St. David's)から0.5マイル以内の海の崖に見られるかもしれない。それはあまりに巨大であるために、雌ウシ100頭の牽引を上回るかもしれないとわたしは推定するほどであり、それはまったく自然なままで、磨かれていない。名前(Y maen sigl、またはロッキングーストーン)の根拠は、高さ約1ヤードの周りの他のいくつかの石に乗っているという理由であり、男が指1本でそれを振るわせるように均一に釣り合いを保っているし、そのためにそれは、それに座っている男5〜6人にそれによって自分が動くのを感じさせる。」
オリヴァー・クロムウェルの兵士らは、ミスタ・オーウェンがペンブルックシャーのロッキング・ストーンを記述した後、それを動かないようにした。報じられるところによれば、彼らはそれは迷信を助長していると感じたためにそれを破壊した。
ゴルカー・ヒル
別のロッキング・ストーンは、ヨークシャーのハリファクス (イングランド)近くのゴルカー・ヒル(Golcar Hill)にあった。しかしながら、 ゴルカー・ヒル・ロッキング・ストーンは、石工数人がこのような大きなおもりがどのように簡単に動くのかを知りたがり、それを切り刻み、その釣り合いを破壊したために、もはや簡単に揺れ動こうとしない。
メン・アンバー
メン・アンバー(Men Amber)と称する非常に敏感なロッキング・ストーン(Men-Amber または Menamber と書かれることもある)は、コーンウォールのペンデニス(Pendennis)近くのシスニー(Sithney)の教区の高い尾根にあった。その長さは11フィート (3.4 m)、深さは4フィート (1.2 m)、幅は6フィート (1.8 m)である。クロムウェル連邦の1650年ころに、ペンデニスの知事シュラブソール(Shrubsall)とその男らによってぐらつかせて倒された。うわさされたむりやりな移動の動機の1つは、マーリンの予言とされるものであった。彼は、イングランドに王がいなくなるときまでメン・アンバーは立っているであろう、と言ったとされる。
ウィリアム・ステュークリは、書いた――
- Main Ambres 。petrae ambrosiae、聖油をそそがれ、奉献された石複数を意味する。または一般的な意味で、寺院、祭壇または場所または崇拝
ウィリアム・ボーレーズ(William Borlase)は、『Antiquities of Cornwall』(1754年)の中で主張しているところによれば、メン・アンバーがむりやりな移動させられた、なぜならば――
- 庶民はかつて、一年の特定の時期にこの場所にしばしば行っていたもので、この岩に、良いクリスチャンになると考えられていたよりも多くの敬意を払った。
ローガン・ロック
ロッキング・ストーンまたはローガン・ストーンのもう1つの有名な例は、コーンウォールのトリーン(Treen)のローガン・ロック(Logan Rock)である。この巨石の重さは約80トンまたは90トンである。それはいくつかの理由でいちばん有名なロッキング・ストーンの1つである。たとえば、モッドレッド(Modred)は、ウィリアム・メーソン(William Mason)の劇詩「Caractacus」の中で、登場人物ヴェリヌス(Vellinus)およびエリドゥルス(Elidurus)に話しかけながら、ローガン・ロックについて言う――
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- Thither, youths,
- Turn your astonish'd eyes; behold yon huge
- And unhewn sphere of living adamant,
- Which, poised by magic, rests its central weight
- On yonder pointed rock: firm as it seems,
- Such is the strange and virtuous property,
- It moves obsequious to the gentlest touch
- Of him whose breast is pure; but to a traitor,
- Tho' ev’n a giant’s prowess nerv’d his arm,
- It stands as fixt as Snowdon.
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- そちらへ、若者たちよ、
- あなたがたの仰天した眼を向けよ。見よ、巨大な
- そして断固として生きている、切り刻まれていない領域を、
- あれは魔法で釣り合い、あそこの尖った岩に
- 真ん中の重みを休めている――見かけは固い、
- あれは奇妙で高潔な財産だ、
- あれは乳房が純粋な者の、
- どれほど優しい接触にもへつらい動く。しかし裏切り者には、
- 巨人の武勇がその腕を勇気づけてさえ、
- スノードン山なみに固定されている。
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しかしながら、トリーンのローガン・ロックが記憶されているもう一つの理由は、それが有名なドラマの中心だったということである。1824年4月に、RNの中尉ヒュー・ゴールドスミス(Lieutenant Hugh Goldsmith, R. N.)(有名な詩人オリヴァー・ゴールドスミスの甥)と、バーとレバーで武装した(armed with bars and levers)カッター『Nimble』の乗組員の10人または12人が巨大な花崗岩を揺り動かし、ついに崖の上の高所から落ちた。ゴールドスミスは明らかにウィリアム・ボーレーズの主張に動機づけられた。彼は1754年に『Antiquities of Cornwall』に書いた――
- S. Levan 教区には、Castle Treryn と称する岬がある。この岬は、明確な岩グループ3つから成る。上部近く真ん中のグループの西側には、非常に大きな石が横たわり、どの手もそれを前後に動かせるように均等に釣り合いをとっていた。しかし、その基礎の端は互いに距離があり、それが伸びている石への近さでしっかりと固定されているために、どんなレバーが、または実際に力が、機械的な方法で加えられても、それを現在の状況から移動させることは、まずありえない。
ゴールドスミスは、イギリス船員の勇気と技術がかかわったとき不可能なことは何もないと実証する決意であった。ローガン・ロックは落ち、狭い割れ目にとらえられた。
ローガン・ロックは観光客らをこの地域に引き寄せるために使用されていたために、これは地元住民をかなり動揺させた。Sir Richard Vyvyan, 8th Baronet (1800–1879)[17] は、とりわけ不幸であった。彼らは、中尉ゴールドスミスが自費で岩を元の位置に戻さないかぎり、イギリス海軍本部が彼からイギリス海軍の士官の地位を剥奪することを要求した。しかしながら、ミスタ・デーヴィス・ギルバート(Mr. Davies Gilbert)は Lords of the Admiralty を説得し、ローガン・ロックを戻すために必要な装置を中尉ゴールドスミスに貸させた。海軍本部 (イギリス)はプリマスのドック・ヤードからブロックとチェーンとともにキャプテン13人を送り、費用25ポンドを寄付した。ギルバートもまた、より多くの資金を調達した[18]。
複数月の努力の後、1824年11月2日午後4時20分に、ローガン・ロックは、観客数千人の前で、男60人超と滑車の助けを借りて、最終的に再配置され、「ロッキング状態」("rocking condition")に戻った[19]。あきらかなことに、この企ての総最終経費は、130ポンド8シリング6ペンスであった。しかしながら、残り105ポンドのうちどれだけ、ゴールドスミスが自分のポケットから補わなければならなかったかは明らかでない。
その後しばらくの間、岩は鎖でつながれ、南京錠がかけられたままであったが、しかし最終的にこれらの制限が解除され、岩は解放された。しかしながら、明らかにもはや以前ほど簡単に震えあるいは「ログ」しない。
観光業は衰退し、これはローガンロックの条件で非難された。しばらくの間、トリーンは「ゴールドスミスの廃村」('Goldsmith's Deserted Village')というニックネームで呼ばれていた。
もう1つの有名な岩構造、ランヨン・クロムレック(Lanyon Cromlech)は、1815年の激しい雷嵐でこわされた。トリーンのローガン・ロックを復元するために使用されたのと同じ機械装置がしゅびよく、Lanyon Cromlechを再配置した。
信仰
さまざまな信仰がロッキング・ストーンに関連づけられている。その奇妙な性質のために、ロッキング・ストーンはときどき、ウィッチクラフトまたはドルイド祭司らと関連づけられた。
コーンウォールの Nancledrea の近くのロッキング・ストーンは、魔女が外に出ている真夜中にのみ動くと言われた。人々は、もし真夜中にロッキング・ストーンに9回触れれば、魔女になるだろう、と主張した。
ヨークシャーのブリンハム(Brimham)のロッキング・ストーンは、正直な人の努力によってのみ揺れ動くと言われている[20]。
ランズエンドのロッキング・ストーンは、それを使って自分を揺すって眠りにつく巨人によってそこに置かれたと言われた。
トリーンのローガン・ストーンは、小児病を治すことができると主張された。子供たちは特定の季節にローガン・ストーンの上で揺り動かされた。人々は、中尉ゴールドスミスがローガン・ストーンをむりやり移動させたとき呪文がとかれた、と言っている。
誓いを立て、それからロッキング・ストーンまたはローガン・ロックを動かそうとするのはコーンウォールの伝統である。裏切りを心に抱く人はだれも、ロッキング・ストーンを動かすことはできないと言われた。
脚注
- ^ Neuendorf, K.K.E., J.P. Mehl, Jr., and J.A. Jackson, eds. (2005) Glossary of Geology (5th ed.). Alexandria, Virginia, American Geological Institute. 779 pp. ISBN 0-922152-76-4
- ^ a b Twidale, C.R., and J.R.V. Romani (2005) Landforms and Geology of Granite Terrains. A.A. Balkema Publishers Leiden, The Netherlands. 359 pp. ISBN 978-0415364355
- ^ A ´Pedra de Abalar´. Archived 19 August 2014 at the Wayback Machine. Consulted on 20 June 2014.
- ^ Pliny: Natural History, Book II: XCVII
- ^ Photius' Bibliotheca #190: Ptolemy Chennus, New History
- ^ Paterson, James (1863). History of the Counties of Ayr and Wigton. Vol. I. – Kyle. Pub. James Stillie, Edinburgh. pp. 217–218.
- ^ “Location Map.”. 2019年8月7日閲覧。
- ^ Prehistoric Man in Ayrshire, John Smith of Dalry, 1895
- ^ “Rinkusteinar: Two massive boulders, rocking back and forth with the ebbing of the sea.”. Atlas Obscura. 2019年8月7日閲覧。
- ^ Currie, Robert. Rocking stone near Lugar. Kilmarnock Glenfield Ramblers Society. Annals. 1904–1907. p. 23.
- ^ A travel diary from Jordan describing the movement of pillars at Jerash
- ^ Map, The Megalithic Portal and Megalith. “Rocking Stone”. 2019年8月7日閲覧。
- ^ Topographical Description of Ayrshire; more Particularly of Cunninghame: together with a Genealogical account of the Principal families in that Bailiwick., George Robertson, Cunninghame Press, Irvine, 1820
- ^ Allen, Charles A. Arran: Its Charm & Beauty. Kilmarncok Glenfield Ramblers Society. Annals. 1904 – 1907. facing p. 76.
- ^ Weir John and Le Messurier 1988、Great Walks:Dartmoor&Exmoor
- ^ Harmsworth's Universal Encyclopaedia Vol X, 1922. p6659 Rocking Stone
- ^ 101 Cornish Lives, Maurice Smelt, ISBN 0-906720-50-8
- ^ “Popular Romances of the West of England: Romances of the Rocks: The Logan or Loging Rock”. 2019年8月7日閲覧。
- ^ Michell, John (1974). The Old Stones of Land's End. Garnstone Press. ISBN 0-85511-370-7. p. 78.
- ^ Hippisley Coxe, Antony D. (1973). Haunted Britain. Pub. Hutchinson. ISBN 0-09-116540-7. p. 21.
外部リンク
- Video of Scottish Glacial Erratics in History, Myth & Legend
- Video and commentary on the Thurgartstone
- YouTube video of the Witch's Rocking Stone on the Craigs o'Kyle
- YouTube video of the Lamargle or Lugar Rocking Stone
- YouTube video of the Cuff Hill Rocking or Logan stone
- World Wide Words entry, Michael Quinion
- photograph of the Pontypridd rocking stone in Wales in the middle of a Druidic stone circle
- an account of the Logan Rock
- Stonehenge. A temple Restored to the British Druids, W Stukeley, 1740.
- Secret Cornwall: Bodmin Moor and its Environs, Andy Norfolk, Imbolc 2003; a discussion of Men Amber's destruction
- Old England, Charles Knight, 1845.
- The Description of Penbrokshire, George Owen, 1603.
- Lake’s Parochial History, S. Levan, 1868
- Logan stone
- site with maps of 9 rocking stones in the UK listed
- A photograph of the Thorgatstane
- ロッキングストーンのページへのリンク