かつての販売業者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:45 UTC 版)
太平洋戦争(大東亜戦争)前は駅前にあった煙草屋旅館が駅弁の製造・販売を行っていたが、1950年(昭和25年)に発足した高崎鉄道管理局が当駅を管轄することになった時点では販売業者がない状態となっていたCITEREF高崎鉄道管理局1961。電化による機関車の付け替えで停車時間が長くなることから、高木弁当と殺生石伝説に由来する九尾の狐をトレードマークとした九尾弁当本舗ことフタバ食品黒磯営業所が1956年(昭和31年)に営業認可を申請、1957年(昭和32年)から営業を開始した。 1960年代以降急行列車が順次電車・気動車に置き換わった後も、この駅で特急列車の通過待ちを行うことが多かったため、駅弁を買い求める利用者は多く、夜行列車が発着する時間帯も弁当の販売を行っていた。高木は「特製幕の内弁当」、「あゆづくし」、「高原肉めし」、「なめこ汁」など、九尾は「キジ焼き栗めし」、「九尾すし」、「九尾の釜めし」などが代表的な製品だった。九尾の製品は、フタバ食品九尾弁当部という表記の時代もあった。 九尾すしは後年、「九尾ずし」、「九尾の味」と2度改称、九尾の釜めしは横川駅の「峠の釜めし」と同様の益子焼の器が用いられていた。2001年(平成13年)に高木弁当が廃業、2005年(平成17年)にフタバ食品黒磯営業所が撤退し、販売は終了した。
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