あっちへこっちへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 04:56 UTC 版)
「イアン・マシューズ」の記事における「あっちへこっちへ」の解説
プレインソングがバンドメンバーのアルコール問題で解散した後、マシューズはロサンゼルスを拠点に活動していたが、その後もその場しのぎのバンドで数枚のアルバムをリリースしている。元モンキーズのマイク・ネスミスがプロデュースした Valley Hi (1973)、Journeys from Gospel Oak (1974)、Some Days You Eat The Bear (1974)、Go For Broke (1976)、Hit and Run (1977)などである。 これらのどれも商業的には成功しなかった。Valley Hi では、マシューズとネスミスがアレンジしたスティーブ・ヤングの "Seven Bridges Road" のカバーをフィーチャーし、全パートをマシューズが歌い、マルチトラック・ハーモニーを生み出した。このバージョンは1980年7月28日にイーグルスのライブでカバーされ、『イーグルス・ライブ』としてリリースされたことで有名になった。アルバムでの成功がなかったため、マシューズはエレクトラ・レコードからコロンビア・レコードに移籍し、小さなロックバラのレーベルに移った。1978年にテレンス・ボイラン(Terence Boylan)の "Shake It "のカヴァーでヒットシングルを獲得し、全米チャートで13位を記録した。 マシューズはロバート・パーマーの"Give Me an Inch "のカヴァーで適度な成功を収めた。しかし、彼のアルバムStealin 'Homeとそれい続くSiamese Friendsに対する北米での権利は、カナダの小さなレーベルであるMushroomが所有していた。1979年にレーベルオーナーのシェリー・シーゲルが亡くなり、マシューズのレーベルとの関係は終わりを告げた。「シェイク・イット」という歌は、1980年の映画「 リトル・ダーリングス 」の冒頭で流されている。また、ロックスターゲームのヴィデオゲーム ”The Warriors” 中のラジオで聴くこともできる。 マシューズの公式ウェブサイトによると、この時点で彼は「15年近くも苦労していて、今でも手を尽くしていて、彼の努力については何も示すものはなく、彼のビジョンを共有してくれたミュージシャンやファンの忠誠心以外には何も示すものがなく、口先だけの生活を続けていた」と言う。 マシューズはロサンゼルスからシアトルに移り、以前はセントルイスのバンドだったパヴロフス・ドッグのデイヴィッド・サーカンプとチームを組み、 パワー・ポップ・バンドHi-Fiを結成した。そのレパートリーにはマシューズのオリジナルだけでなく、ニール・ヤングの「ミスター・ソウル 」やプリンスの "When You Wer Mine" のカバーも含まれている。彼はアイランド・レコードのA&Rキャパシティと 、その後はウィンダム・ヒル・レコードで働いていた。
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