『陸奥話記』の疑わしい部分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 09:01 UTC 版)
「阿久利川事件」の記事における「『陸奥話記』の疑わしい部分」の解説
『陸奥話記』の記述には、作者が意図的に挙行されたように疑われる部分が存在する。 例えば、『陸奥話記』では安倍氏は戦いが始まっても、少なくとも黄海合戦までは源氏軍に対して積極的な攻撃を仕掛けておらず、防戦に徹している点である。 また、安倍宗任の証言を採録した『今昔物語集』にこの事件に関する言及が全くない点である。『今昔物語集』では、前九年の役の原因は、陸奥国の奥地に住む「夷」が国家に反乱しようとしたおりに、安倍氏がそれに同心しているとの事実無根の風評が立ってしまい、頼義が一方的に攻撃を仕掛けたとされており、安倍氏には一切謀反の事実はなかったとされる。 加えて、頼時が貞任を「愚か」とし、「誅に伏す」という語を用いている点である。頼時が冤罪によって殺されようとしている潔白な我が子・貞任を「愚か」という言葉で形容する必要や、「誅(罪ある者を殺すこと)」という言葉を用いる必要は無いはずである。『陸奥話記』だけを見れば、頼時は貞任の犯行を認めていると見る他ない。 作者は、阿久利川事件の話を設けることで、国家に対する罪を憎む儒教的倫理よりも、私的な父子の情愛を優先し、ついには国家への叛逆を成した安倍氏の非倫理性や野蛮さを強調し、源氏による安倍氏追討を正当化し賞賛したのである。
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