『自由海論』出版とは? わかりやすく解説

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『自由海論』出版

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 19:54 UTC 版)

自由海論」の記事における「『自由海論』出版」の解説

グロティウスがこの『捕獲法論』第12章をもとにして『自由海論』を著わそうという考え至ったのは1608年11月のことであったといわれるオランダスペイン対す独立戦争和平交渉1607年からはじめられたが、スペイン当時密接な関係にあったポルトガル立場支持してオランダ東インド通商参加することに難色示したスペインオランダ独立承認する代わりに東インド会社アジアから撤退することを要求した。これに対し東インド会社オランダスペイン譲歩することを嫌い、オランダ国内の世論東インドとの交易必要性訴えるためにグロティウス要請しグロティウスが著わしたのが『自由海論』であったといわれる。なぜグロティウス『自由海論』のみを出版し捕獲法論』を未刊のままとしたのかについては定かではなく様々な憶測があるが、九州大学法学部教授伊藤不二男東インド会社活動オランダ国民に大きな利益もたらすことが明らかとなって会社対す批判少なくなったために、もともと会社擁護するために書かれた『捕獲法論』を刊行する必要がなくなったからではないか指摘する。あるいは同じく九州大学教授柳原正治は、スペインからの東インド貿易放棄提案対し英仏明確に反対の意を表さなかったことから、交渉実質的責任者でありグロティウスの上司でもあったヨハン・ファン・オルデンバルネフェルトが政治的理由から航行交易の自由を真正面から論じた捕獲法論』の出版こころよく思わず、グロティウスもオルデンバルネフェルトの許可なしには出版することができなかったのではないか指摘する。しかし『捕獲法論』未刊理由に関して確定的な資料はない。『自由海論』初版匿名出版されグロティウスの名が記されるようになったのは1614年オランダ語訳において、ラテン語のものでは1618年出版され第2版のことであった『自由海論』匿名出版した理由について、グロティウス1613年から1616年にかけて執筆した『ウィリアム・ウェルウッドによって反論された自由海論第5章弁明』(Defensio Capitis Quinti Maris Liberi Oppugnati a Guilielmo Welwod)のなかで、他人評価探り、そして反論された際にはその反論についてもっと正確に考察することが自らにとって安全であるから述べている。

※この「『自由海論』出版」の解説は、「自由海論」の解説の一部です。
「『自由海論』出版」を含む「自由海論」の記事については、「自由海論」の概要を参照ください。

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