『御摂勧進帳』とは? わかりやすく解説

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『御摂勧進帳』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:00 UTC 版)

勧進帳」の記事における「『御摂勧進帳』」の解説

安永2年1773年)の十一月中村座初演初代桜田治助らが書いた初演時の役者弁慶三代目市川海老蔵冨樫実子五代目市川團十郎義経四代目松本幸四郎現行三幕目加賀国安宅の関の場において勧進帳を読む場面となる。舞台上は二重関所とその門前の体をとっており、そこへ義経一行やってくる冨樫同僚斎藤次祐家はこれを怪しいと止めるが、後からやってきた讃岐坊実ハ武蔵坊弁慶勧進帳読み、さらに義経打擲したことによって冨樫からは通行許可をもらうことに成功する警戒を解かない斎藤次は弁慶だけを捕らえ配下松の木に繋がせた上で痛めつけるよう命じ弁慶であることを白状させよう計る泣くそぶりを見せていた弁慶は、義経一行安全な場所まで離れられ時間稼いだ後、自分から本性現して縄を破り番卒次々倒していく。戦いで引き抜いた敵の首を大きな放り込んで芋洗いのように棒でかき回す場面で幕切れとなる。このことから『御摂勧進帳』は俗に芋洗い勧進帳」とも呼ばれているが、当時「いも」、「いもがさ」として恐れられていた天然痘対す疫病除けの意味込められていたとも解釈されている。長い間上演絶えていたが、大正年間に「安宅の関」が復活して以来一幕物として散発的に上演されてきた。1968年昭和43年1月には国立劇場利倉幸一捕綴、二代目尾上松緑弁慶通し狂言として復活上演された。

※この「『御摂勧進帳』」の解説は、「勧進帳」の解説の一部です。
「『御摂勧進帳』」を含む「勧進帳」の記事については、「勧進帳」の概要を参照ください。

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