『個我の集合性』
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『個我の集合性』(講談社、1977年)は『レイテ戦記』の分析を中心とした大岡昇平論である。 亀井は大岡の文学の原点を、レイテの捕虜収容所における兵士たちの戦争体験談という、オーラルな〈記憶〉語りに見出した。米軍の収容所の日本兵士は、自分の戦闘体験を類型的な見方で、しかも誇張を交えて語っている。亀井は、大岡はオーラルな〈記憶〉語りが唯一の楽しみであるような特殊な環境の中で、彼自身は戦地で若いアメリカの兵士を撃たなかった時の〈記憶〉を反芻し、人間はどれだけ正確に自分の経験を思い出すことができるか、人は果たして自分一人が経験した行為の客観的な証人となり得るか、などの問題を追及して、「身体的自我」と言うべきものの働きに思い至った、と述べている。 その一方で、亀井は、大岡が『レイテ戦記』で引用した軍人や兵士の回想記や体験談を分析し、たとえ一人の人間が自分では個人的な体験を語ったつもりの文章であっても、その中には、一緒に体験した仲間の視点や発話が取り込まれていることを発見し、大岡はそのような表現構造の証言を編集することで、戦争の多元的な様相を描くことに成功した、と論じた。
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