『七人の侍』と『二十四時間の情事』
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「磯貝一 (照明技師)」の記事における「『七人の侍』と『二十四時間の情事』」の解説
1936年(昭和11年)7月25日、生まれる。 学歴等は伝えられていないが、本人によれば、黒澤明監督の『七人の侍』の照明助手が足りないとのことで応援として参加したのが、映画界への第一歩であったという。同作は1953年(昭和28年)5月27日に撮影が開始された作品であるが、撮影は長引き、公開年の1954年(昭和29年)2月まで撮影は続いた。当時、磯貝は満17歳、同作の照明技師は森茂、照明助手にはチーフの金子光男のほか、新井盛、江夏昭三、羽田昭三、小島真二、村上勝美、石井金蔵、釜田一の名が記録に残っているが、磯貝の名は東宝資料室の資料には残っていない。東宝資料室によれば、1956年(昭和31年)5月17日に公開された『あの娘が泣いてる波止場』(監督日高繁明)で猪原一郎、1957年(昭和32年)4月2日に公開された『早く帰ってコ』(監督斎藤達雄)および同23日に公開された『東京だヨおッ母さん』(同)で田中義男、同年8月11日に公開された『森繁の僕は美容師』(監督瑞穗春海)で大沼正喜、といった技師の助手を務めた。広く知られているのは、1959年(昭和34年)6月20日に日本でも公開されたアラン・レネ監督による日仏合作『二十四時間の情事』において、日本部分のチーフ照明助手を務め、撮影・照明チームであった高橋通夫・伊藤幸夫を支えたことである。同作製作の直後の同年、同作を日本側で製作・配給した大映のテレビ室(現在の大映テレビ)が製作を開始した連続テレビ映画『少年ジェット』で、磯貝は照明技師を務めた記録があり、同作は同年3月4日に放映を開始し、翌1960年(昭和35年)9月28日まで放映された作品である。
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