『一柳家記』の「先懸之衆」
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「賤ヶ岳の戦い」の記事における「『一柳家記』の「先懸之衆」」の解説
一柳直末・直盛兄弟の武功記として、一柳直良(直盛の子)が記した『一柳家記』には、4月21日の佐久間盛政勢との交戦における「先懸之衆」14人の活躍が描かれている。「先懸之衆」の一部は「七本槍」と重複しており、石田三成や大谷吉継、一柳直盛らも最前線で武功を挙げたとする。 『一柳家記』が掲げる「先懸衆」は、加藤虎之助(加藤清正)、大谷桂松(大谷吉継)、石田左吉(石田三成。『続群書類従』所収のテキストでは、一説に福島正則家臣桜井左吉(桜井家一)という割注がある)、片桐助作(片桐且元)、平野権平(平野長泰)、奥村半平、福島市松(福島正則)、福島与吉郎(福島長則。正則の弟)、大島茂兵衛(大島光政)、一柳次郎兵衛、一柳四郎右衛門(一柳直盛)、稲葉清六で、「以上拾四人」(直前に一柳直末と加藤光泰が軍奉行として名を挙げられている。なお、一柳直盛と稲葉清六は一柳直末の家臣であった)が一万五千の敵に馳せ向けたのは無類であると当時評判をとったという。 なお、『一柳家記』では「先懸衆」とともに崎田源太郎(のち小右衛門と割注がある)、加藤孫六(加藤嘉明)、桜井左吉、加須屋助右衛門(糟屋武則)、石川長十、石川兵助(石川一光)、脇坂甚内(脇坂安治)らの戦いぶりも描かれている。『一柳家記』では直盛の働きを称揚する文章の間に「江北之七本鑓とは此時の儀を申候」と記している。
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