『一柳家記』の「先懸之衆」とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 『一柳家記』の「先懸之衆」の意味・解説 

『一柳家記』の「先懸之衆」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 08:07 UTC 版)

賤ヶ岳の戦い」の記事における「『一柳家記』の「先懸之衆」」の解説

一柳直末・直盛兄弟武功記として、一柳直良(直盛の子)が記した一柳家記』には、4月21日佐久間盛政勢との交戦における「先懸之衆」14人の活躍描かれている。「先懸之衆」の一部は「七本槍」と重複しており、石田三成大谷吉継一柳直盛らも最前線武功挙げたとする。 『一柳家記』が掲げる「先懸衆」は、加藤虎之助(加藤清正)、大谷大谷吉継)、石田左吉石田三成。『続群書類従所収テキストでは、一説福島正則家臣桜井左吉桜井家一)という割注がある)、片桐助作片桐且元)、平野権平平野長泰)、奥村半平福島市福島正則)、福島与吉郎(福島長則。正則の弟)、大島茂兵衛大島光政)、一柳次郎兵衛一柳四郎右衛門一柳直盛)、稲葉清六で、「以上拾四人」(直前一柳直末加藤光泰軍奉行として名を挙げられている。なお、一柳直盛稲葉清六は一柳直末家臣であった)が一万五千の敵に馳せ向けたのは無類であると当時評判をとったという。 なお、『一柳家記』では「先懸衆」とともに崎田源太郎(のち小右衛門割注がある)、加藤孫六加藤嘉明)、桜井左吉加須助右衛門糟屋武則)、石川長十、石川兵助石川一光)、脇坂甚内脇坂安治)らの戦いぶり描かれている。『一柳家記』では直盛の働き称揚する文章の間に「江北七本鑓とは此時の儀を申候」と記している。

※この「『一柳家記』の「先懸之衆」」の解説は、「賤ヶ岳の戦い」の解説の一部です。
「『一柳家記』の「先懸之衆」」を含む「賤ヶ岳の戦い」の記事については、「賤ヶ岳の戦い」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「『一柳家記』の「先懸之衆」」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「『一柳家記』の「先懸之衆」」の関連用語

『一柳家記』の「先懸之衆」のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



『一柳家記』の「先懸之衆」のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの賤ヶ岳の戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS