『パネルクイズ アタック25』2代目司会
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「浦川泰幸」の記事における「『パネルクイズ アタック25』2代目司会」の解説
1975年の番組開始当初から司会を務めた俳優の児玉清が体調不良により収録を欠席した2011年3月31日収録分(4月17日・24日放送)から、急遽代理司会を担当。当初は、この2回分のみ児玉の代理で出演する予定だった。しかし、その後も児玉の体調が回復しなかったことから、番組サイドは5月11日に児玉の無期限休養を発表。浦川は、5月15日放送分(5月12日収録)まで、引き続き代理司会を務めた。 児玉は同年5月16日の午後に、胃癌のため77歳で死去。5月22日には、浦川の司会で収録済みだった『アタック25』の放送を休止する代わりに、同月19日に収録された児玉への追悼特別番組『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』を放送した。この特別番組には、出題・アシスタントを担当している後輩アナウンサーの加藤明子と共に出演。収録後には、「病床の児玉さんから『浦川君なりのアタックをやってくれたらいいよ』とメッセージをいただきました」というエピソードを明かした。 翌週の5月29日放送分より、正式に2代目司会者へ就任。就任後最初の収録では、「児玉さんに対して恥ずかしくないように司会を務めていきたい」と気を引き締めたほか、児玉の逝去を冒頭で改めて伝えた。 浦川は司会を任された時に関して、「一人の視聴者として何度も見てきた番組だったため、『司会は簡単』と思いきや、細かな段取りなどで難しいところが多かったから、代理司会に任命された時に思わず足が震えていた」と後に述懐している。また、司会への抜擢から1年後の2012年3月、番組のリニューアルを実施した際には、新装されたスタジオセットについて「児玉さんが見ていたら恥ずかしい」と語っていた。なお、番組史上14代目となるこのスタジオセットは、3年後の退任まで使用された。 2015年3月29日放送分を最後に、4年間務めた司会を俳優の谷原章介にバトンタッチ。2021年9月26日をもって地上波での放送が終了したため、浦川は地上波向け制作局(朝日放送→朝日放送テレビ)のアナウンサーでただ1人の司会経験者になった。
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