『アイヌ神謡集』が生まれるまで
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「アイヌ神謡集」の記事における「『アイヌ神謡集』が生まれるまで」の解説
1920年11月、知里幸恵が17歳の時に金田一京助に勧められ、幼い頃から祖母モナシノウクや叔母の金成マツより聞き覚えてきた「カムイユカラ」をノートにアイヌ語で記し始める。1921年金田一京助に送ると柳田国男の郷土研究社で本とする企画が進んだ。 この時期の数冊のノートには『アイヌ神謡集』の作品13篇の基礎となった自筆が記され「知里幸恵ノート」として北海道立図書館北方資料室に現存する。 1922年に『アイヌ神謡集』の草稿を推敲、執筆。本として仕上げるため同年5月に上京。金田一家で印刷用原稿の校正を完了させた当日夜、同年9月18日、心臓麻痺により急逝。 『アイヌ神謡集』は翌1923年に郷土研究社から発行された。 なお「知里幸恵ノート」を基礎に推敲、執筆された草稿、原稿、著者が校正した印刷用原稿は所在が不明。また同時に企画され執筆された『アイヌ民譚集』は出版が実現せず原稿は所在不明。
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