「50年問題」と所感派の動向
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「国民的歴史学運動」の記事における「「50年問題」と所感派の動向」の解説
共産党内の内部抗争(「50年問題」)が国民的歴史学運動にも飛び火し、所感派と国際派との間で罵倒合戦が展開される。国民的歴史学運動への賛否はやがて政治的立場の踏絵となり、運動末期の1954年頃には、両派に属する研究者同士で自己批判や査問が行われるに至った。 例えば、藤間を批判した井上清は藤間から査問を受け、自己批判書を書かされたり、自宅の井戸を改築した際には「ブルジョワ的生活態度」が槍玉に挙げられ、嫌がらせに遭遇している。また、藤間のヤマトタケル論への批判に追随した者も、次々と査問の対象となったという。なお井上は、所感派に批判的な立場を取る日本共産党員であったが、1967年中国で発生した文化大革命に賛同したため、除名処分が下る。 結局は科学者の学問上の内的要求と無縁であったため、歴史学研究会や民科から専門の歴史学者が撤退していった。かつ1953年頃は武装闘争路線の限界が見え始めた時期でもあり、党派抗争で共産党も党員数の激減を余儀無くされた。国民的歴史学運動も、こうした流れの中で衰退の一途をたどってゆく。
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