「棋士」の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 10:03 UTC 版)
将棋連盟結成と新聞棋戦賞金の収入によって専業プロの制度が確立するとともに棋客に代わって、「専門棋士」という呼称が広まった。当時は専門棋士の社会的地位は低く、特に田舎などではバクチ打ちの様にみなされていた。大山康晴(十五世名人)によれば、彼が少年の頃(昭和初期)には専業プロをすでに「専門棋士」と呼んでいたようであるから、大正頃に「専門棋士」という呼び方ができたと考えられる。 実際にプロが「棋士」と自称するのが一般的になるのは大山や戦後のプロからと思われる。現在では、日本将棋連盟の「棋士」がプロの正式名称である。 昭和9年(1934年)に大阪で升田幸三が初段になった頃までは、囲碁と同じく「初段からが専門棋士」だった。その頃、それと並行して奨励会ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立していった。
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