「棒道」の初見文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 20:45 UTC 版)
「棒道」に関する確実な初見資料は江戸時代初期の慶安4年(1651年)「逸見筋小淵沢村四ヶ村山論裁許絵図」(北杜市教育委員会所蔵)である。 これは、小淵沢村(北杜市小淵沢町)と周辺諸村の間で発生した山論に際して作成された裁許図で、小荒間村(北杜市長坂町)から西へ延びる「ぼう道、中道」の二筋が朱筆で記されている。 江戸後期に編纂された甲斐国地誌である『甲斐国志』には棒道は三筋あると記されている。
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