「文化大韓帝国女帝」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:53 UTC 版)
2006年9月29日、李朝の末裔10人余りで結成された団体「大韓帝国皇族会」(2006年5月5日結成、9月29日「大韓帝国皇室」に改称)は、先代当主李玖の死を受けて皇位継承式を開催し、李海瑗を象徴的な女帝に推戴した。これにより李海瑗は「文化大韓帝国(문화대한제국)」の「女帝(여제)」を称するようになった。李海瑗は、皇室の代表全権、皇室の維持保存事業権、次期当主の指名権などを有するとされる。 南延君・李球の末裔によると、皇位継承式は「大韓民国にも皇室が存在していることを全世界に知らせるためのもの」だという。大韓帝国皇族会は大韓民国政府と海外のロイヤルファミリー関係者に正式に報告するとともに、海外のロイヤルファミリーとの交流も進めていく計画だとした。しかし政府はこのことについて何ら公式なコメントを出さず、黙殺した。 李朝皇族の子孫たちの大部分が所属する全州李氏大同宗約院をはじめ、わが皇室愛の集まり、大韓皇室再建会など、王党派団体の多くは、李海瑗の推戴を無効として反対の立場を表明している。 皇族会がどんな団体か分からず、李海瑗翁主のほかには皇室関係者が1人もいない。(中略)大同宗約院が分からないのに何の伝統性があるのか。 — 「全州李氏大同宗約院」イ・ジョンジェ事務総長 2019年の時点では、李海瑗のほか、李海瑗の弟の子で一般的に正当な当主とされる李源、李海瑗の弟である李錫が旧皇室当主を称しており、3人の帝位請求者が並立している状態であった。しかし韓国政府が所有するウェブサイト「Korea.net(英語版)」では、帝位請求者の存在は2人しか認識されていない(うち一人は李錫と明言されている)。
※この「「文化大韓帝国女帝」」の解説は、「李海瑗」の解説の一部です。
「「文化大韓帝国女帝」」を含む「李海瑗」の記事については、「李海瑗」の概要を参照ください。
- 「文化大韓帝国女帝」のページへのリンク