「女系天皇」に擬せられる例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 16:45 UTC 版)
「女系天皇」の記事における「「女系天皇」に擬せられる例」の解説
第42代文武天皇は祖母第41代持統天皇から、第44代元正天皇は母第43代元明天皇から皇位を譲られており、特に文武・元正とも「母である元明天皇のみが天皇」である。父親の草壁皇子は皇太子であったが即位前に薨去し、天皇である母親から皇位を継承している事から、「女性天皇の女子」である元正天皇が「女系の女性天皇」であるという見方である。 言うまでもなく、両天皇とも父方の男系の血統を受け継いでいる。したがって本例の「(皇位が)女系で継承されたこと」と「(血統上)女系であること」は全く異なる。なお、天平宝字元年(757年)に施行された養老律令継嗣令中の皇兄弟子条に、皇族の身位を決める世数について「女帝子亦同(女帝の子また同じ)」と記載された特例的な措置により、元正天皇(即位前:氷高内親王)は男系を辿れば天武天皇の3世皇孫として「女王」であるべきところ、即位前から母親の元明天皇からの世数(皇女)により「内親王」とされていた。 逆に、この元明天皇→元正天皇の前例に則り、仮に皇族女子が即位しても夫が皇統に属する男系男子の旧皇族(旧宮家)であれば男系の血統が維持されるということである。旧皇族が戦後GHQの方針により皇籍離脱になった際、昭和天皇はそれまでの「皇族親睦会」を「菊栄親睦会」に改称した上で維持することをお決めになり、旧皇族との離別時には加藤進宮内府次長を通じて、「万が一にも皇位を継ぐときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎みになっていただきたい」との言葉を伝達した。
※この「「女系天皇」に擬せられる例」の解説は、「女系天皇」の解説の一部です。
「「女系天皇」に擬せられる例」を含む「女系天皇」の記事については、「女系天皇」の概要を参照ください。
- 「女系天皇」に擬せられる例のページへのリンク