「奸臣説」に対する疑問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/15 01:57 UTC 版)
『井伊家伝記』では井伊谷を横領した「悪役」として描かれる道好であるが、夏目琢史は著書で『井伊家伝記』が書かれた江戸時代、徳川家が絶対的で批判のできない存在となっており、小野家を悪役に仕立てることで徳川家・井伊谷三人衆・井伊家の大義名分を確保した可能性や、当時の井伊家家臣団の間に深刻な内部対立があった影響である説を指摘した。また井伊家が「横領」のために結果として徳川とも今川とも対峙することなく身の安全を確保できたことは都合が良すぎ、浜名家が家康の遠江侵攻に際し、側近の大矢家に後を任せて逃亡したのと同じようなことが起きていたのではないかと推察した。 大石泰史は通説とされてきた道好の「専横」を疑問視しており、根拠として、『井伊家伝記』では永禄11年12月の武田信玄による駿河侵攻以後に横領が始まったとされるが、それを止めた井伊谷三人衆による徳川の引込はほぼ同時期であり、そのような行動を取る時間的余裕がないこと、さらに家康入国のわずか1か月前である同年11月9日に直虎が井伊谷徳政の文書を発給し井伊家の当主代行者として政務を取り行っているため、この時点で道好が勝手なふるまいはできなかったはずだとしている。
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