「天罰」と「神判」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 08:44 UTC 版)
「始於兵」(戦争から始める)、「師出以律」(律で戦争を指揮する)、「兵獄同制」(戦争と処罰は同一制度である)などの言葉からわかるように、中華法系の法源は戦争中の需要から始まり、中華法系における最初の法は軍事行動の過程で形成された軍法から脱皮したものと推測できる。「黄帝以兵定天下、此刑之大者」(黄帝は戦争を通じて天下を抑え、これは最も厳しい刑罰である)とも言われるように、法は「刑」と密接な繋がりをもつ。中華法系のもう一つの内容は礼である。中国法制史に関する主流の説によると、礼は祭祀から発生したものである。古代の人々は祭祀活動を行う際、礼器を用いて畏怖の念を表す。その過程で自然神や先祖を祭り上げ、「礼」すなわち幸福を祈願する典礼儀式が形成された。『詩経』「豊年」にも豊作に感謝して農事に関する祭事が行われたとの記述がある。「刑」と「礼」は中国古代法を構成する二つの基本体系である。しかし、当時の社会生産力は非常に低く、人々の自然界に対する認識能力も低かったため、社会に素朴な「天命」や「鬼神」の迷信思想が氾濫していた。夏代や商代では例外なく、自己の政権は「受命於天」(天に政権を授与された)とその正当性を主張し、敵への討伐は「代行天罰」(天のかわりに懲罰を行う)として天の力を借りなければならなかった。
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