「いき」と「すい」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 04:49 UTC 版)
「いき」は本来は“意気”であり、「意気地」「意気込み」「生意気」など、“やる気”や“心構え”などを表していた言葉である。これが江戸初期の遊里で、男女の精神的な“本気”や“純潔さ”の称美語として使われ始め、“ピュア”を意味する「粋」の字が当てられた。 同じ漢字の「粋」を当てる「すい」があり、どちらも「つう(通)」とならぶ江戸時代から始まる美意識の理念である。 「いき」が江戸時代を通じて用いられているのに対し、「すい」や「つう(通)」は、近世後期に文化の中心が江戸に移っていくに従って育った、地域的、時代的な限定を伴う。「つう」は、男性の遊びの美意識であり、「すい」は“洗練された美”という共通意識はあるものの、“極めた”“結実した”という豪華さの理念を伴うが、「いき」は必ずしもこれにこだわらない“内面的な美”であり、表面的はさっぱり、いやみがないなどと形容される理念として区別される。文学での比較において「通」の文学である洒落本より後の発生である人情本に多く用いらることから、女性中心の美意識であるとの見方もある。九鬼周造は「いき」の概念に「諦め」も加えている。 『守貞謾稿』には、「京坂は男女ともに艶麗優美を専らとし、かねて粋を欲す。江戸は意気を専らとして美を次として、風姿自づから異あり。これを花に比するに艶麗は牡丹なり。優美は桜花なり。粋と意気は梅なり。しかも京坂の粋は紅梅にして、江戸の意気は白梅に比して可ならん」と書かれている。 一方で、「いき」と「粋(すい)」の内容に大差はないという説もある。前出の九鬼周造は「いき」と「粋(すい)」は同一の意味内容を持つと論じている。
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