「いざ、スウェーデンへ。」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/11 05:07 UTC 版)
「白バス」の記事における「「いざ、スウェーデンへ。」」の解説
新たな交渉を通じてフォルケ・ベルナドッテは重病の収容者を避難させる許可を取り付け、4月9日にスウェーデンのバス12台とデンマークの救急車8台を使用してノイエンガンメからの最初の輸送が始まった。ほとんどがベッドに寝たきりの153名の収容者はデンマーク国境まで連れて行かれ、デンマークの検疫所があるパドボーで降ろされた。収容者はデンマークのバスや列車でデンマーク国内を移動する前に更なる休養と治療を与えられてからフェリーでスウェーデンのマルメへ運ばれた。4月18日までに合計1,216名の病気のデンマーク人とノルウェー人収容者がスウェーデンへ輸送された。2日後の4月20日、ノイエンガンメのスカンジナビア人収容者全員の引き揚げが開始された。 4月19日の夜にフリードリヒスルー城でスカンジナビア人収容者のノイエンガンメからの引き揚げについての会議が開かれた。スウェーデン側からはベルナドッテ、フリクマンとリッケルトが、ドイツ側からはレンナウが、デンマーク側はフォスとホルムが代表して出席した。状況は危機的であり、フリードリヒスルーにあるスウェーデンとデンマークの車両の輸送能力は収容者を急いで引き揚げさせるには不十分であった。デンマーク側は「ユランズ軍団」が提供する追加の車両提供を申し出て、これが受け入れられた。 合計4,255名のデンマーク人とノルウェー人収容者がデンマークの100台とスウェーデンの20台のバスで引き揚げ、デンマークで数日を過ごした後フェリーでスウェーデンのマルメへ送られた。
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