靖国神社問題 靖国問題に関する訴訟

靖国神社問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 04:47 UTC 版)

靖国問題に関する訴訟

靖国問題を取り上げた主要な訴訟としては、玉串料公費支出訴訟、首相公式参拝訴訟、合祀取消訴訟などがある。

玉串料公費支出訴訟

住民訴訟として争われた訴訟類型のものである[28]

岩手県靖国神社訴訟

1979年昭和54年)12月19日、岩手県議会が国に靖国神社公式参拝を実現するよう意見書を採択し、政府に陳情書を届けたことと、1962年(昭和37年)から靖国神社の要請で玉串料や献灯料を支出していたことは、政教分離原則に反するとして、その費用を返還するよう住民らが提訴した。1987年(昭和62年)3月5日盛岡地方裁判所合憲判決を示し、住民らの訴えを全面的に退けた[29]1991年(平成3年)1月10日、仙台高裁(糟谷忠男裁判長)は、判決主文にて住民側の控訴に対して被告の岩手県への公費返還請求を棄却したが、公式参拝・玉串料公費支出は違憲であるという傍論を示した[30]

勝訴したが違憲とされた県は、違憲とする傍論が示されたのは不利益で、最高裁で判断を仰ぐ必要があるとして上告した。仙台高裁は不適法として却下した。県は高裁の決定を不服として特別抗告したが、最高裁第2小法廷は「抗告の理由がない」として棄却した。

愛媛県の玉串料訴訟

愛媛県知事が靖国神社に対し玉串料を「戦没者の遺族の援護行政のために」毎年支出した事に対し、政教分離原則に反するとして、その費用を返還するよう住民らが求めた。1審の松山地方裁判所違憲判決、2審の高松高等裁判所は「公金支出は社会的儀礼の範囲に収まる小額であり、遺族援護行政の一環であり宗教的活動に当たらない」として合憲判決を示した。しかし、1997年(平成9年)最高裁判所は政教分離原則の一つとなった目的効果基準により違憲判決を出し、確定した。

首相公式参拝訴訟

国賠訴訟として争われた訴訟類型のものである[28][注釈 4]

中曽根首相公式参拝訴訟

中曽根康弘首相(当時)が1985年(昭和60年)8月15日に公式参拝したことに対する訴訟である。最高裁は、かかる公式参拝は憲法20条3項、同89条に違反する疑いがあるとしたが、本件公式参拝が憲法に違反するとしても、法律上、保護された具体的な権利ないし法益の侵害を受けたことはないし、また、慰謝料をもって救済すべき損害を被ったこともなく、損害賠償を求めることはできないとした。 中曽根は首相在任中に10回にわたり参拝しているが、1985年(昭和60年)8月14日に、正式な神式ではなく省略した拝礼によるものならば閣僚の公式参拝は政教分離には反しないとこれまでの政府統一見解を変更し[25]、1985年(昭和60年)に閣僚とともに玉串料を公費から支出する首相公式参拝を行った[注釈 5]

中曽根は1985年(昭和60年)8月15日以後は参拝をしていないが、その理由について翌1986年(昭和61年)8月14日の官房長官談話において、公式参拝が日本による戦争の惨禍を蒙った近隣諸国民の日本に対する不信を招くためとしている[33]。中曽根は後に、自身の靖国参拝により中国共産党内の政争で胡耀邦総書記の進退に影響が出そうだという示唆があり、「胡耀邦さんと私とは非常に仲が良かった。」「それで胡耀邦さんを守らなければいけないと思った。」と述べている[34][35]

九州靖国神社公式参拝違憲訴訟

1992年(平成4年)2月28日福岡高等裁判所は、九州靖国神社公式参拝違憲訴訟で、目的効果基準により公式参拝の継続が靖国神社への援助、助長、促進となり違憲と判示した[36]

関西靖国公式参拝訴訟

1992年(平成4年)7月30日には、大阪高等裁判所が、関西靖国公式参拝訴訟で、公式参拝は一般人に与える効果、影響、社会通念から考えると宗教的活動に該当し、違憲の疑いありと判示した[37]

小泉首相参拝訴訟

小泉純一郎首相(当時)が2001年平成13年)8月13日に秘書官同行の上公用車で靖国神社を訪れ「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳、献花代3万円を納め参拝した。この参拝に対する訴訟では地裁・高裁判決において公的参拝判断がなされた時に違憲判断がされたケースがあったが、傍論で述べられたものであり主文で原告敗訴としているので、政府はこのことを不満として上訴することができないと判断し、原告も上訴しなかった為判決は確定した(傍論#下級裁判所における「ねじれ判決」を参照のこと)。原告側が上告した裁判では、最高裁が憲法判断を避けたため、憲法判断がされることはなかった。地裁・高裁判決においても公的参拝が合憲だとされたケースはない。賠償請求についてはいずれも棄却されている。福岡地裁判決を受けた小泉首相は記者団の質問に「私的な参拝と言ってもいい」と語り、公私の区別をあえてあいまいにしてきた従来の姿勢を転換させた。

裁判所 判決年日 参拝は公的か私的か 憲法判断 賠償請求
大阪地裁(一次) 2004年2月27日(村岡寛裁判長) 公的 ×
松山地裁 2004年3月16日(坂倉充信裁判長) ×
福岡地裁 2004年4月7日(亀川清長裁判長) 公的 違憲 ×
大阪地裁(二次) 2004年5月13日(吉川慎一裁判長) 私的 ×
千葉地裁 2004年11月25日(安藤裕子裁判長) 公的 ×
那覇地裁 2005年1月28日(西井和徒裁判長) ×
東京地裁 2005年4月26日(柴田寛之裁判長) ×
大阪高裁(一次) 2005年7月26日(大出晃之裁判長) ×
東京高裁 2005年9月29日(浜野惺裁判長) 私的 ×
大阪高裁(二次) 2005年9月30日(大谷正治裁判長) 公的 違憲 ×
高松高裁 2005年10月5日(水野武裁判長) ×
福岡地方裁判所判決

2004年(平成16年)4月7日福岡地方裁判所(裁判長亀川清長)は原告の損害賠償請求を棄却した[38]。しかし傍論において首相の参拝について政教分離に違反し違憲と述べた[38]。総理大臣の公式参拝を傍論で違憲とする判断は1991年(平成3年)の仙台高裁判決に次いで二例目であった(下級裁判所が傍論で違憲を論じる問題点については傍論#下級裁判所における「ねじれ判決」を参照)。

2004年(平成16年)10月21日、福岡地裁判決が傍論において「参拝は違憲」としたことに対し、国民運動団体「英霊にこたえる会」(会長:堀江正夫元参院議員)が国会の裁判官訴追委員会に裁判を担当した3裁判官の罷免を求める訴追請求状6036通を提出した。請求状によれば、訴追理由について「判決は(形式上勝訴で控訴が封じられ)被告の憲法第32条『裁判を受ける権利』を奪うもので憲法違反」、「政治的目的で判決を書くことは越権行為。司法の中立性、独立を危うくした」としている(弾劾裁判も参照)。

千葉地方裁判所判決

千葉県内の戦没者遺族や宗教家ら39人からなる原告は、この参拝は総理大臣の職務行為として行なわれており、政教分離を定めた憲法に違反すると主張。小泉首相と国に1人当たり10万円の損害賠償を求めていた。 2004年(平成16年)11月25日千葉地方裁判所(裁判長:安藤裕子)は、参拝は公務と認定し、原告慰謝料請求を棄却した。判決では、公用車や内閣総理大臣の肩書きを用いたりしているため、参拝は客観的に見て職務であると認定し、また公務員個人には国家賠償法における責任はないとした。また「信教の自由や、静かな宗教的な環境で信仰生活を送るという宗教的人格権を侵害された」として慰謝料の支払いを求めた原告側に対し、「信仰の具体的な強制、干渉や不利益な扱いを受けた事実はなく、信教の自由の侵害はない。宗教的人格権は法的に具体的に保護されたものではない」として退けた。

東京高等裁判所判決

2005年(平成17年)9月29日東京高等裁判所(浜野惺(しずか)裁判長)は1審の千葉地裁判決を支持、原告側控訴を棄却した。ただし1審千葉地裁判決は、首相の参拝を「職務行為」と認定したが、この2審判決では、参拝は小泉首相の「個人的な行為」と認定した。また、参拝は職務行為ではないため、原告側主張は前提を欠くとした。以下、判決理由。

  1. 神社本殿での拝礼は、個人的信条に基づく宗教上の行為、私的行為として首相個人が憲法20条1項で保障される信教の自由の範囲。故に礼拝行為が内閣総理大臣の職務行為とは言えない。
  2. 献花代は私費負担。献花一対を本殿に供えた行為は、私的宗教行為ないし個人の儀礼上の行為。いずれも個人の行為の域を出ず、首相の職務行為とは認められない。
  3. 「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した行為は、個人の肩書を付したに過ぎない。
  4. 神社参拝の往復に公用車を用い、秘書官とSPを同行させた点。総理大臣の地位にある者が、公務完了前に私的行為を行う場合に必要な措置。これをもって一連の参拝行為を職務行為と評価することは困難。
  5. 1982年4月17日閣議決定により、毎年8月15日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされ、2001年8月15日も全国戦没者追悼式が実施。しかし参拝は13日であり、政府追悼式と一体性を有さない。
※ 2005年9月29日付け 『東奥日報』掲載「靖国訴訟判決要旨」(共同通信配信)に加筆修正。
大阪高等裁判所判決(二次)

2005年(平成17年)9月30日大阪高等裁判所(大谷正治裁判長)は小泉首相の参拝をめぐる訴訟としては高裁段階で初の違憲判断を示した。判決は、参拝は「総理大臣の職務としてなされたものと認めるのが相当」と判断。さらに、参拝は「極めて宗教的意義の深い行為」であったと認定し違憲と結論付けた。一方で、信教の自由などの権利が侵害されたとは言えないとして、賠償は認めなかった。原告は上告せず、判決は確定した。

遺族による合祀取消訴訟

遺族による靖国神社合祀取消訴訟(霊璽簿等抹消訴訟)には以下などがある[39]

大阪訴訟

2006年8月、合祀された戦没者の遺族である浄土真宗本願寺派僧侶の菅原龍憲ら8名、およびカトリック司祭の西山俊彦が、靖国神社及び国に対して合祀取消と損害賠償を求めて訴訟した。菅原龍憲らは訴状で「敬愛追慕の情を基軸とする人格権」への侵害などを主張した[40]。西山俊彦は「信教の自由」への侵害などを主張した[41]。2010年12月、大阪高裁は菅原龍憲らによる控訴に対し、遺族に無断での合祀が「耐え難い苦痛」と認めながらも、靖国神社側の宗教行為の自由や霊璽簿等の非公開を理由に、靖国神社側の行為は違法と言えないと棄却したが、合祀に国が協力した行為は政教分離原則違反で違憲であると判決した[42][43]。2011年11月、最高裁により確定した[39]

沖縄訴訟

合祀された戦没者の遺族5名が、靖国神社及び国に対して、合祀取消と損害賠償を求めて訴訟した。2010年10月、那覇地裁は原告の請求を棄却した[44]。2011年9月、福岡高裁での控訴審では、原告が「合祀を受け入れがたいことは理解し得る」としつつも、「神社の教義や宗教的行為は、他者に対する強制や不利益の付与がない限り、信教の自由として保障される」と判示した[39][45]

韓国人遺族による訴訟

2011年7月、日本人軍人・軍属として徴用され戦死した韓国人遺族が合祀取消と損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁は原告敗訴の判決を行った[39]

また上記とは別の訴訟で、2011年11月、日本人軍人・軍属として徴用され戦死した韓国人遺族が合祀取消と損害賠償を求めた訴訟で、最高裁は上告棄却(原告敗訴)の判決を行った[39]


  1. ^ 続日本記(天平2年9月の条)には安芸長門の民が死者の霊を信奉しているが養老律令賊盗律の妖書妖言に当るので止めさせるよう詔勅が出された旨の記述がある。
  2. ^ 同事典の平成12年版では、「常に問題を先送りしてきたのは第1線の祀職に(責任が)ある」と結んでいる。
  3. ^ なお、靖国神社ではなく真言宗智山派の高尾山薬王院での政教分離訴訟であれば、護摩祈祷を宗教行為と認定した上で、公務員が公務として正式に参加することは政教分離に違反しないとする判例がある[26]
  4. ^ 国家及び地方公務員における同様の訴訟として、公務として高尾山薬王院で正式に礼拝・護摩祈祷に参加したことが問題となった事件がある[31]
  5. ^ 日本労働年鑑によれば、これをきっかけに、信仰上の相違と靖国神社法案に反対する立場から「日本遺族会」に属していない、あるいは脱会していた遺族が「平和遺族会全国連絡会」を結成するに至ったという[32]





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