青列車 青列車の概要

青列車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 22:02 UTC 版)

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青列車の走行経路(カレー - ヴェンティミリア)

元は「カレー・地中海急行(Calais-Méditerranée Express)」が正式名称だったが、1922年の新型車両導入時からトラン・ブルーと呼ばれるようになり、1949年からは正式な名称となった。営業は国際寝台車会社(ワゴン・リ社)によって行われており、ヨーロッパを代表する豪華列車の一つだったが、1971年に同社が列車の営業から撤退してからはフランス国鉄の列車となった。

前史

コート・ダジュールの地図

パリからマルセイユを経由してニースに至る鉄道が全通したのは1872年のことである。ニースからはジェノヴァを経由してローマに至る鉄道に接続された。 ワゴン・リ社は1876年10月15日からパリ - マントン間で寝台列車の営業を開始した。これは冬季のみの季節列車であり、列車の運行そのものはパリ・リヨン・地中海鉄道(PLM)によって行われていた。1880年にはマントンからローマまで延長されている。さらに1883年12月8日からは、イギリスからの旅客を獲得するため起点をカレーに変更し、カレー・パリ・ニース・ローマ急行(Calais-Paris-Nice-Rome Express)として運転された。1884年から1885年の冬にはカレー・ニース急行(Calais-Nice Express)の名でカレー - マントン間で運転された。

1886年11月には名をカレー・地中海急行と改め、運転区間はカレー - ヴェンティミリア間となった。この時から1890年代まで、列車は11月から5月までの週2往復の季節列車だった。カレーからは北部鉄道の線路をパリ北方まで走り、グランド・サンチュール(大環状線)を経由してパリ・リヨン駅に至り、そこで向きを変えてマルセイユ経由ニース・ヴェンティミリアに至っていた。ダイヤはイギリスからの船に接続してカレーを午後早くに発車し、パリ発は夕刻で翌日昼ごろコート・ダジュールに到着するよう設定されており、ダイヤ改正のたびに少しずつ所要時間が短縮された。1896年からはパリ北駅を経由するようになり、北駅-リヨン駅間はプティト・サンチュール(小環状線)経由で移動した。

19世紀末から20世紀初頭にかけては、カレー・パリのほかベルリンアムステルダムウィーンサンクトペテルブルクなどからも冬季にコート・ダジュール行の寝台列車が運転された。しかし1914年第一次世界大戦勃発により、これらの列車は同年冬以降はすべて運休となった。

終戦後、1920年11月16日からパリ - マントン間で地中海急行(Méditerranée Express)として寝台列車の運転が再開され、翌1921年12月9日にはカレー - ヴェンティミリア間の列車が復活した。ただし戦前とはやや経路が異なり、パリ北駅は経由せず直接プティト・サンチュールに入りリヨン駅に向かうように変更された。

黄金期

Lx型寝台車の個室

1922年12月から、ワゴン・リ社は同社初の製寝台車であるS型(type S)をカレー・地中海急行に投入した。

ワゴン・リ社は1913年から、プルマン社の鋼製の新型客車をカレー・地中海急行に導入することを計画していたが、第一次世界大戦のため中止された。終戦後、戦争によって失った車両の補充を兼ねて鋼製客車を製造することになり、まずS型寝台車40両がイギリスのLeeds社で製造された。S型は全長(連結器間)23.5m、重量は53tで、通路は片側にあり寝台は枕木方向に配置されていた。車両中央部に二人用個室4室、両端に一人用個室8室を備え、定員は16名である。向かい合う二人用個室の間には共用の洗面室があり、両側の個室から扉を開けて利用できるようになっていた。このほか客車の両端にトイレとデッキがあった。

それまでのワゴン・リ社の木製客車は茶(マルーン)色で塗装されていたが、S型はこれ以降の同社の標準となる地に帯で塗装されていた。その色から、カレー・地中海急行は「青列車」と呼ばれるようになり、後にワゴン・リ社自身も宣伝にこの名を用いるようになった。鋼製車両の導入により、乗り心地や安全性は大きく向上した。ただし食堂車荷物車は木製であり、またパリ-ヴェンティミリア間で増結される寝台車も1923年までは木製だった。

1926年からは食堂車も鋼製車両に置き換えられた。またこの年にはカレー発とパリ発の列車が分離され、カレー発の列車はパリを経由せず、グランド・サンチュールから直接南方向へ向かうようにされたが、翌年にはパリ経由に戻された。

1929年1月にはさらに新型のLx型(Lx10型)寝台車がカレー・地中海急行に投入された。Lx型はワゴン・リ社の歴史上もっとも豪華な車両であり、一人用個室のみ10室からなり、すべての個室に専用の洗面台が備えられていた。

1930年代に入ると、世界恐慌の影響により一等旅客の数は減少した。またこのころから航空機が新たな競争相手として登場した。一方で1936年にフランスで有給休暇制度が発足したことにより、中流階級の間でバカンスの慣習が生まれた。このため1936年からカレー・地中海急行には二等車が連結されるようになった。またLx型客車も一部または全部の個室を二人用にしたLx16型やLx20型に改造して定員を増加させられるなど、「青列車」は次第にその性格を変えつつあった。

1939年9月、第二次世界大戦の勃発によりカレー・地中海急行は運行を中止した。




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