青列車
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第二次大戦後
1946年10月7日にカレー・地中海急行は運行を再開した。この時の編成は一等・二等寝台車のほか一部区間は座席車も併結しており、また食堂車はパリ - ディジョン間およびマルセイユ - ニース間でのみ連結されていた。1948年5月のダイヤ改正で、座席車はフランス国鉄のパリ・コートダジュール急行として分離され、カレー・地中海急行は戦前と同様の編成に戻った。
1949年5月からは、それまで通称だった「青列車」が正式の名称とされ、公式の書類や時刻表に記載されるようになった。
1950年にはパリ - ディジョン間の電化に伴い同区間が電気機関車牽引となった。以後電化区間の延伸にともない次第に電気機関車の牽引区間が延長された。また1951年から、青列車はカレー - パリ北駅間で急行列車フレシュ・ドールと併結されるようになった。
1960年ごろまで使用される寝台車はLx型のみだったが、これ以降はP型やUH型も用いられるようになった。P型はワゴン・リ社初のステンレス製客車であり、同社では唯一無塗装だった。客室は一人用個室を上下二段に重ねる形で計20室配置している。
1965年には最後まで残っていたマルセイユ - ヴェンティミリア間での蒸気機関車がディーゼル機関車に置き換えられた。さらに1969年には同区間が交流電化され、これにより全区間が電気機関車牽引となった。
1968年にはLx型客車の運用が完全に終了し、以後はP型のほかMU型やT2型が用いられるようになった。MU型は二人または三人用個室を12室、T2型は二人用個室を上下二段に計18室備えている。
また1969年にはパリ以北への直通列車と分離され、青列車はパリ - ヴェンティミリア間の列車となった。なお、カレーと地中海沿岸との間には独立した夜行列車が設定され、2009年6月1日のダイヤ改正でカレー - ニース間のコライユ・ルネアが廃止されるまで運行された。
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