角館のシダレザクラ
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シダレザクラの現状把握と保存管理計画の策定
国の天然記念物指定から25年が経過した1999年(平成11年)度から翌年にかけ、角館のシダレザクラを管理する当時の角館町(現、仙北市)では、今後の保全策の検討や、個々の生長比較を得るための基本データ取得を目的に、国や秋田県の補助事業として緊急調査事業を実施した。この節では角館のシダレザクラの生育状況調査と保全計画について解説する。
シダレザクラ緊急調査事業と結果概要
先述したように観光客の急激な増加にともない、角館をとりまく様々な環境が変化していく中で、シダレザクラの生育環境も大きく変わっていった。具体的には、武家屋敷通りの路盤強度確保のための道路の嵩上げや、同時に行われたシダレザクラの根回りの盛土、また側溝の改良や下水道整備等による根回り周辺の掘削などにより、一部のシダレザクラの樹勢が衰弱し始めた。このことに危機感を持った角館町は、大学の教員、サクラの専門家、地元の代表者などから構成されるメンバーによって調査及び対策の検討が行われた[33][34]。
天然記念物指定時には153本であった指定樹のシダレザクラは、この調査の段階で6本減って147本になっており、そのうちの1本は1981年(昭和56年)の台風により倒伏したことが記録に残っていたが[6]、その他の5本に関しては何らかの理由により枯死、あるいは伐採されていた。残存する147本の指定樹について、個々の詳細な生育状況や土壌の調査が実施されることとなり、大学教員や樹木医、関係機関の専門家らで構成される「保存管理計画策定委員会」が組織され、その調査をもとに衰退状況を数値化し5段階で区分したものが次の表である。なお、この調査では檜木内川堤のソメイヨシノについても同様の調査が行われ、参考としてその衰退度調査結果も比較して示す。
衰退度区分 | 角館のシダレザクラ | 檜木内川堤のソメイヨシノ | 評 価 | ||
---|---|---|---|---|---|
本数 | 比率 | 本数 | 比率 | ||
衰退度1 | 0本 | 0% | 29本 | 7.0% | 健全(殆どが若木) |
衰退度2 | 80本 | 54.4% | 154本 | 37.7% | 衰退は見られるが概ね健全 |
衰退度3 | 57本 | 38.8% | 209本 | 51.1% | 衰弱は中程度で治療を要する |
衰退度4 | 10本 | 6.8% | 17本 | 4.2% | 明らかに異常が見られ治療を要する |
衰退度5 | 0本 | 0% | 0本 | 0% | 枯死又は生育の見込みの少ないもの |
計 | 147本 | 100% | 409本 | 100% |
このような結果となり、檜木内川堤のソメイヨシノと比較として、若い樹齢の木が無いため衰弱度区分1は無く半分以上が区分2であった。一般的にソメイヨシノと比べて長寿であるエドヒガン系のシダレザクラの状態は好結果であり、実施調査でも腐朽した部位を持つ個体は極めて少なかった[38]。その一方で衰弱度4とされた10本は、モミやイチョウ、マツなどの高木が近接する個体であるため日当たりが良くなく、高木によって太陽光が遮られており、植物学用語で「被陰(ひいん)[39]または被圧」と呼ばれる状態によって衰弱したと考えられた[35]。
しかし、これら樹高の高い木々はシダレザクラとともに角館の美観を構成する一角を担う景観樹でもあり、重伝建に選定されて以降、これらの庭木も保護樹木として保全の対象とされてきたため慎重に扱う必要がある。また、土壌に関する環境も樹木毎に異なり、被陰にかかわる影響と根回りの土壌を樹木毎個別に考察するため、指定樹147本のシダレザクラは1本ずつナンバリングされ、さらに詳細な生育環境調査が行われた[38]。
衰退度区分/5段階 1(健全)-5(衰退) |
個体数 | 樹高 単位メートル |
胸高直径 単位センチメートル |
樹冠面積 単位平方メートル |
被陰度/5段階 1(明)- 5(暗) |
花の量/3段階 1(少)-3(多) |
シダレ度/5段階 1(小)-5(大) |
---|---|---|---|---|---|---|---|
衰退度1 | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- |
衰退度2 | 80本 | 12.0 | 60.3 | 53.1 | 1.5 | 1.7 | 3.1 |
衰退度3 | 57本 | 11.0 | 56.4 | 50.1 | 1.9 | 1.1 | 2.5 |
衰退度4 | 10本 | 8.8 | 64.2 | 20.3 | 2.3 | 0.9 | 2.1 |
衰退度5 | -- | -- | -- | -- | -- | -- | -- |
被陰度区分/5段階 1(明)-5(暗) |
個体数 | 樹高 単位メートル |
胸高直径 単位センチメートル |
樹冠面積 単位平方メートル |
衰退度/5段階 1(健全)- 5(衰退) |
花の量/3段階 1(少)-3(多) |
シダレ度/5段階 1(小)-5(大) |
---|---|---|---|---|---|---|---|
被陰度1 | 64本 | 10.5 | 62.9 | 73.6 | 2.4 | 1.7 | 3.0 |
被陰度2 | 33本 | 11.7 | 56.2 | 69.4 | 2.4 | 1.3 | 2.8 |
被陰度3 | 24本 | 11.6 | 57.8 | 73.2 | 2.7 | 1.3 | 2.7 |
被陰度4 | 9本 | 12.7 | 50.7 | 57.9 | 2.7 | 1.0 | 2.8 |
被陰度5 | 17本 | 13.4 | 56.3 | 75.8 | 2.9 | 1.0 | 2.3 |
これらの調査結果をまとめると、指定樹147本の平均樹高は11.4メートル、平均胸高直径は59.0センチメートルであったが、その数値には個体差が大きくあり、樹高は5.1メートルから19メートルまで、胸高直径は28センチメートルから117センチメートルと一様ではなく、国指定の申請時に行われた1973年(昭和48年)の平均値と比較すると、直径は平均約9センチメートル増加しているのに対し、樹高は平均で約0.9メートル低くなっており、かつて樹高が高かった個体ほど樹高が低下していることが判明した[40]。これは枯損した樹幹の最上部分が切断された個体が多かったことを示しており[35]、詳細に調査した被陰との関連性から、著しく被陰の影響を受けている個体ほど衰退度が高く、同時に「枝垂れ」や「花の量」も少ないことが明らかにされた[40]。
枝張りについては、主幹から四方へ張り出した平均値は4.7メートル、平均面積は80.9平方メートルであり、主幹の太い樹木ほど枝張りが広いという一般的な樹木の特徴は当てはまらず、むしろ樹木個体固有の生育環境に大きく左右されることが分かった[40]。やはり被陰による影響が大きいと考えられ、遮蔽物の少ない道路側に面した指定樹ほど大きくなる傾向がある。黒板塀を乗り越えて道路側へ張り出して枝垂れるシダレザクラ特有の生態や樹形が、角館のシダレザクラの場合、美観等の景観面だけでなく、シダレザクラ自体の生育面にとってもプラス要因になっており[35]、道路側に面した個体は「枝垂れ」や「花の量」も概ね良好であった[40]。
一方、外観だけだは分かり難い地中の根については、全ての樹木に対して根回り周辺を掘削して確認するわけにもいかないため、7か所を選定し試掘を行い土壌を調査した。国の天然記念物に指定されたエリア内の武家屋敷通り一帯は、全体的に人間生活の影響を受けた土壌が多く、特に表層土壌は盛土など人為的な改変が行われてきた歴史があるため、角館では特定の場所を定めて土壌の特徴を定義づけることは困難であった。ただ、全般的には砂質を主体とする共通点が認められ、水はけのよい透水性を備えた土壌でサクラの生育環境としては問題ないものと推察された[35]。
保存修理事業と管理計画の方向性
1999年(平成11年)から2か年にわたって行われた調査結果をもとに、2002年(平成14年)3月に当時の角館町は「角館のシダレザクラ保存管理計画」を策定した[2]。この事業では次の5つの方向性、指針が示された[41]。
- シダレザクラの樹勢の維持・回復を図る。
- 歴史的景観との調和を図る。
- 保護意識の醸成を図る。
- 住民生活や観光との共存・調和を図る。
- 規制内容の明確化と周知を図る。
国の天然記念物に指定された「角館のシダレザクラ」は、その多くが個人所有の各戸に生育するため、保存管理の策定には文化財の保護という側面だけでなく、人間生活との両立を図ることが必須であるため、適切な管理、立案、実施など、関係行政部局と地域住民との合意形成や連携に際し、角館町役場が両者を取り持つ役割を担うことが、よりよい方向へ進めていく上で重要であった[41][42]。
管理計画に基づいて、樹勢回復を目的とする保存修理事業が2002年度(平成14年度)から2007年度(平成19年度)にかけて行われた。前述したナンバリングされた指定樹について、土壌改良、根系の通気工事、盛土の除去、逆伏U字溝を使った根系誘導工事、保護柵の設置、隣接樹の適切な剪定、以上6項目の工法を個別に状況を判断しながら5年という長期間にわたり慎重に施工された[43][44]。
施行期間中の2005年(平成17年)9月20日に角館町は、いわゆる平成の大合併で同郡の仙北郡田沢湖町、西木村と合併して仙北市となった。角館のシダレザクラ保存管理計画策定事業は、新設された仙北市教育委員会文化財課を管理部署として、従来の角館町の担当者が引き継ぐ形で事業が継続された。これらの調査や維持回復事業を通じ、被陰にともなう光の環境と土壌改良が重要であることが再確認され、特に武家屋敷内通り一帯の高木のうち、指定樹に隣接する樹木の枝の剪定や、根回り周辺の踏圧の軽減が課題として指摘されたが、先述したように、これらは個人所有の樹木や私有地が大半を占めることから、地域住民の保護意識を高め住民と行政が保護に対する方針等を共有することが求められた。同時に角館を訪れる観光客らにも保護対策の実態や内容を周知し、武家屋敷通り各所に説明板を設け、実施した保護対策事業の内容、その効果についての解説をまとめている[45]。
もともと角館のシダレザクラは、檜木内川堤の桜並木とともに、樹木医の資格を持つ角館町役場職員の文化財担当の黒坂登[46]の熱意と努力によって維持継続されてきた面が強いと、文化庁記念物課の本間暁は指摘している[45]。
仙北市となった後も角館のシダレザクラを管理維持する予算は一般財源に限られているため外部委託による管理も困難で、また、武家屋敷通りという場所柄、観光に訪れる観桜客から入場料の収入を得て管理費の足しにすることも出来ないため、年間を通じてきめ細やかな管理が必要な病害虫対策や枯れ枝の除去作業などは、実質的に文化財課職員の僅かな人員に委ねられている[47][48]。
1997年(平成9年)の秋田新幹線開業時には、主に首都圏方面から乗り換えなしの直通で角館駅へ行き来が可能となったこともあり、この年だけで年間約233万人の観光客が角館を訪れたという[9]。
2008年(平成19年)に仙北市教育委員会がまとめた報告書には、長年にわたり角館のシダレザクラを管理してきた文化財課職員の黒坂登による、サクラの日常的な管理全般についての詳細な解説がある。この中で黒坂は、サクラは開花期間のほんの1週間ほどは注目されるが、そのわずかの期間に花数の多いサクラを咲かせるため、年間を通して様々な作業があり、外部からは目に見えない苦労も多いが、「桜は手を尽くすと応えてくれる」ので、見事に咲くことがやりがいであり、特に最大の励みとなるのは、開花時にサクラを眺める観光客の傍を通りかかった際に小耳に挟む「すごいね、すばらしいね」の一言であると、サクラの保全保護に対する思いを記している[43]。
秋田県庁の観光文化スポーツ課による『秋田県観光統計』報告によれば、角館のシダレザクラのある武家屋敷通りを訪れた観光客は、コロナ禍前の2018年(平成29年)には484,690人[49]、2017年(平成28年)には526,106人[50]となっており、名実ともに角館は秋田県を代表する観光地に成長したが、その原動力となった「桜の城下町」「枝垂れ桜と武家屋敷」という一般的な角館のイメージが形成されたのは、檜木内川堤のソメイヨシノと武家屋敷通り一帯のシダレザクラが、国の名勝、国の天然記念物に指定されたことが大きな要因であった[2][32][51]。
注釈
- ^ 1900年(明治33年)の大火で焼失した「親木」の所在地について『講談社(1995)』では「梅津定之丞邸内」、『仙北市教育委員会(2008)』では「無二園」とされている。本記事では併記する。
- ^ 編集発行の東北之産業社は秋田市本町にかつてあった出版社である。但し書きに、業務の余暇を利用して短期間で編集し「記事は総て確実なるを信ずる」が、再販の機に増補改訂したいと書かれている。なお、文中の大火を明治22年としているのは明治33年の誤植もしくは誤記であると考えられる[25]。
- ^ 選定当時の名称は「角館町角館」。
- ^ 花の量やシダレ度といった一般には比較対象となりにくい物も含まれるが、これらの判定基準は今回の「保存管理計画策定委員会」によって設定され比較対象の基準として使用された。特に一般的には聞きなれない「シダレ度」は枝垂れ具合を5段階にイラスト化したものが、角館教育委員会による報告書(2002年)に凡例として記載されている。
出典
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- ^ 小池 2005, pp. 18–21.
- ^ a b 角館のシダレザクラ(国指定天然記念物) 仙北市ホームページ、2022年4月25日閲覧。
- ^ 交通アクセス/仙北市 仙北市ホームページ、2022年4月25日閲覧。
- 1 角館のシダレザクラとは
- 2 角館のシダレザクラの概要
- 3 シダレザクラの現状把握と保存管理計画の策定
- 4 交通アクセス
- 5 外部リンク
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