皇族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 09:31 UTC 版)
歴史
律令制以前
皇族のことを古代では皇親といい、天皇の一族として政府からの保護を受けるものを指した。その範囲は、歴代の天皇の男系卑属(皇統)であることを大原則とした。元々は世数の制限は定められておらず、「王」/「女王」の称号を名乗ったものは皇親、氏を名乗って「公」の称号を有したものは皇籍を離脱(臣籍降下)したものとされた[7]。
律令における規定
大宝令・養老令により、皇親の範囲が定められた。この時、皇親の範囲は、歴代の天皇の男系卑属で四世までとされ(身位は、一世は親王/内親王、二世以下は王/女王)、五世孫は王/女王の身位は保持するが皇親の範囲外、六世孫で臣籍降下とされた[8]。
その後、皇親の範囲に変化が加えられる。慶雲3年(706年)2月16日、文武天皇の勅令により、皇親の範囲が五世孫まで広げられるとともに、六世孫以下でも、五世王の「承嫡者」(嫡男)は代々王の称号を許されることになった。更に、天平元年(729年)8月5日、格により、六世孫・七世孫であっても、生母が二世女王[注釈 8]である場合は、承嫡者以外も全員皇親とされた[9]。
その後、皇親の人数が増加したことにより、不良行為をなすものが増えたことから、延暦17年(798年)閏5月23日、桓武天皇の勅命により、皇親の範囲を元へ戻す。しかし、六世孫以下が王の称号を名乗ることは引き続き認められた[9]。
親王宣下による運用
平安時代初期にかけて、子女の多い天皇が続いたことにより、皇親の人数が激増、最大で数百人の規模に及ぶ。これを受けて、傍系の皇親は、一部の一世親王に至るまで、六世孫への到達を待たずして臣籍降下させ、一方で皇親に残すものを選別して親王/内親王の身位を授ける(親王宣下)ことにより、世数によらない弾力的な皇親の選定が行われるようになる[10]。
世襲宮家の成立
鎌倉時代以降、皇室の所領である荘園の一部を経済基盤とし、世襲することによって、天皇から経済的に独立した、宮家の原型が発生する[11]。数ある宮家の中で、特に永続した伏見宮は、室町時代前期、皇統断絶の危機を前に後花園天皇が伏見宮家より皇統を継いだのが契機となって、後花園天皇の勅命によって"永世御所"とされ、皇位を継ぐ正統が途絶えるときにはこれを継ぐこととされた。ここから、永世にわたり皇親に留まり、正統が途絶えた後の控えの役割を果たす、世襲親王家の制度が始まる。江戸時代の中期にかけて、桂宮、有栖川宮、閑院宮が加わり、合計四宮家の体制となる[12]。
一方、臣籍降下は行われなくなり、皇位及び宮号を継承しない親王は、出家して門跡となることで、子孫を残さなかった。
明治~昭和前期
明治維新の前後、還俗した親王が新たな宮号を名乗り、これの取り扱いの処理を兼ねて、明治22年(1889年)1月15日、皇室典範が制定される。この時、皇親が皇族と呼称されるとともに、その範囲が変更された[13]。
- その時の皇族の男系子孫は永世にわたって皇族であり続けると定められた(永世皇族制)。
- 身位は、世数による機械的な運用を再開して、四世孫までは親王/内親王、五世孫以下は王/女王とされた。親王宣下は、廃止された(既に宣下を受けたものに限り終身有効)。
- 従来は、内親王/女王は、臣下の男性と婚姻しても終身に渡って皇親であり、また親王/王と婚姻した臣下の女性は皇親に含めなかったが、これを改め、臣下の男性と婚姻した内親王/女王は身位を返上して臣籍降下(降嫁)し、親王/王と婚姻した臣下の女性には、新たに創設された親王妃/王妃の身位が授けられ、新たに皇族に加えられる。
その後、皇族の増加を受けて、大正9年(1920年)5月19日に臣籍降下の準則が定められ、五世孫から八世孫までは嫡男以外、九世孫は嫡男を含め全員が臣籍降下することとなった[注釈 9][14]。
昭和中期~
昭和22年(1947年)10月14日、皇室典範の改正と前後して、伏見宮系の皇族が臣籍降下する。これにより、皇族として残ったのは、明治天皇の男系男子とその配偶者、未婚の男系女子のみとなった。以降、この血統の範囲内に入る者のみが、皇族とされている。なお、新典範においては、永世皇族制が復活している。また、非嫡出子は皇族とされないこととなった[15]。
現在の元皇族の一覧
現皇室典範下で行われた、1947年(昭和22年)10月の11宮家51名(いわゆる旧皇族)より後に臣籍降下(皇籍離脱)した人物の一覧は下表のとおりで、全員が皇室典範第12条の規定[注釈 10]を根拠とした離脱である。
2024年(令和6年)1月1日現在、元内親王6名および元女王2名の計8名の元皇族がいる。
姓名 | 読み | 御称号 | 皇族としての 名・身位 |
生年月日 | 現年齢 | 天皇から見た続柄 / 皇統 | 結婚・配偶者 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 小室眞子8 | こむろ まこ | 眞子内親王 | 1991年(平成3年)10月23日 | 32歳 | 皇姪 上皇の皇孫 文仁親王第一女子 |
2021年(令和3年) 10月26日 (30歳) 小室圭 | ||
2 | 黒田清子1 | くろだ さやこ | 紀宮(のりのみや) | 清子内親王 | 1969年(昭和44年)4月18日 | 54歳 | 皇妹 上皇第一皇女子 |
2005年(平成17年) 11月15日 (36歳) 黒田慶樹 | |
3 | 池田厚子2 | いけだ あつこ | 順宮(よりのみや) | 厚子内親王 | 1931年(昭和6年)3月7日 | 93歳 | 皇伯母 昭和天皇第四皇女子 |
1952年(昭和27年) 10月10日 (21歳) 池田隆政 | |
4 | 島津貴子3 | しまづ たかこ | 清宮(すがのみや) | 貴子内親王 | 1939年(昭和14年)3月2日 | 85歳 | 皇叔母 昭和天皇第五皇女子 |
1960年(昭和35年) 3月10日 (21歳) 島津久永 | |
5 | 近衞甯子4 | このえ やすこ | 甯子内親王 | 1944年(昭和19年)4月26日 | 79歳 | 大正天皇の皇孫 崇仁親王第一女子 |
1966年(昭和41年) 12月18日 (22歳) 近衞忠煇 | ||
6 | 千容子5 | せん まさこ | 容子内親王 | 1951年(昭和26年)10月23日 | 72歳 | 大正天皇の皇孫 崇仁親王第二女子 |
1983年(昭和58年) 10月14日 (31歳) 千宗室 | ||
7 | 千家典子6 | せんげ のりこ | 典子女王 | 1988年(昭和63年)7月22日 | 35歳 | 皇再従妹 大正天皇の皇曾孫 憲仁親王第二女子 |
2014年(平成26年) 10月5日 (26歳) 千家国麿 | ||
8 | 守谷絢子7 | もりや あやこ | 絢子女王 | 1990年(平成2年)9月15日 | 33歳 | 皇再従妹 大正天皇の皇曾孫 憲仁親王第三女子 |
2018年(平成30年) 10月29日 (28歳) 守谷慧 |
注釈
- ^ 皇室儀制令19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗」。
- ^ ただし離婚者が出た実例は、旧皇室典範下における1896年(明治29年)の東伏見宮依仁親王のみ。なお、天皇と皇后、上皇と上皇后は離婚をすることができない
- ^ 公職選挙法附則2項および地方自治法附則抄第20条により「戸籍法の適用を受けないため、選挙権・被選挙権は当分の間停止されている」という規定が根拠とする見解がある。しかし、前述の法規定は「法施行時に日本国籍を有していた台湾人や朝鮮人を対象としたのであって、天皇や皇族を対象としたのではない」とする見解もある。1992年(平成4年)4月7日の参議院内閣委員会で宮尾盤宮内庁次長(当時)は、「天皇及び皇族の選挙権・被選挙権は、象徴的な立場にある天皇とその一家として『政治的な立場も中立でなければならない』という要請や、『天皇は国政に関する権能を有しない』(憲法4条1項)という規定の趣旨などを根拠として、有していないとされているのであり、公職選挙法の規定が根拠になるわけではない」とする旨の答弁している。なお、1946年(昭和21年)2月に制定された参議院議員選挙法は附則第2条で「皇族は、当分、この法律の規定にかかわらず、選挙権を有する」と規定されて皇族は参院選の選挙権を有していたが、1947年(昭和22年)4月に第1回参議院議員通常選挙が実施される直前の3月に、同年3月に公布された衆議院議員選挙法改正で参議院議員選挙法附則第2条が削除される形で皇族は参院選の選挙権を有さなくなり、同条文は参議院議員通常選挙で適用されることがなかった。
- ^ 皇后は、天皇を元首として待遇する国際慣習により、元首の配偶者となるため旅券を必要としない
- ^ 彬子女王は立命館大学の研究員なので私学共済に加入している
- ^ 上皇后美智子が聖心女子大学卒ということで、結婚が発表された際「洗礼を受けたクリスチャンなのではないか」とゴシップ的に問題になった
- ^ 昭憲皇太后については事情により「皇太后」と追号されている。詳細は「昭憲皇太后#追号について」を参照。
- ^ 一世内親王の婚姻相手は四世王以内とされたため、五世王・六世王の婚姻相手としては二世女王が最高位であった。
- ^ ただし、当時皇親の大半を占めていた伏見宮系の皇族は、全員が九世を大幅に超過していたため、邦家親王を四世親王とみなして運用が行われた。
- ^ 皇室典範(昭和二十二年法律第三号)「第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。」
出典
- ^ 『大辞林 第三版』三省堂
- ^ 芦部信喜『憲法』p86
- ^ 藤田さつき (2020年1月20日). “皇族の「人権」どこまで? 目につく「不自由さ」”. 朝日新聞. 2022年1月20日閲覧。
- ^ 日本の天皇はどんな場所に住んでいる? - 中国網(2012年4月12日)
- ^ 皇族の方々、デートで完全2人になれずNG職種の交際相手も NEWSポストセブン
- ^ 退位後のお立場|平成から令和へ 新時代の幕開け|NHK NEWS WEB 2020年1月2日閲覧。
- ^ 赤坂, pp. 1–4.
- ^ 赤坂, p. 7.
- ^ a b 赤坂, p. 8.
- ^ 赤坂, pp. 19–20.
- ^ 赤坂, p. 35.
- ^ 赤坂, p. 36.
- ^ 赤坂, pp. 38–39.
- ^ 赤坂, pp. 40–41.
- ^ 赤坂, pp. 42–43.
- ^ 皇室典範(昭和二十二年法律第三号)「第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。」
- ^ 2021年(令和3年)10月26日の眞子内親王(小室眞子)皇籍離脱以降から現在の元内親王・元女王一覧
- ^ ご結婚により,皇族の身分を離れられた内親王及び女王 – 宮内庁
- ^ 宮内庁 皇室 ご略歴
- ^ a b c d 皇室会議議員名簿 宮内庁 平成28年10月24日現在
皇族と同じ種類の言葉
- >> 「皇族」を含む用語の索引
- 皇族のページへのリンク