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守谷慧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/09 05:13 UTC 版)

もりや けい

守谷 慧
生誕 (1986-03-24) 1986年3月24日(39歳)
日本 東京都港区
出身校 慶應義塾大学文学部卒業
職業 会社員
肩書き 日本郵船職員
NPO法人「国境なき子どもたち」理事
配偶者 絢子女王(高円宮憲仁親王第3女子)
子供 3男
親戚 高円宮憲仁親王(義父)
憲仁親王妃久子(義母)
承子女王(義姉)
千家典子(義姉)
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守谷 慧(もりや けい、1986年昭和61年〉3月24日 - )は、NPO法人「国境なき子どもたち理事日本郵船社員。妻は高円宮家出身の守谷絢子高円宮憲仁親王第3女子)[1]

略歴

東京都出身。父親は通産官僚の守谷治。母は国境なき子どもたち専務理事の守谷季美枝。

1989年平成元年)から1992年(平成4年)まで一家はフランスパリ16区の西隣にあるブローニュ=ビヤンクール在住。その間1989年から1992年7月までパリの幼稚園に通園し卒園。帰国後、東京の港区立白金小学校を経て、高輪中学校・高校在学中にスイスインターナショナルスクールに短期留学。同校卒業後、慶應義塾大学文学部入学[2]オックスフォード大学短期留学。2005年(平成17年)3月から国境なき子どもたちの会員から後に理事就任。2009年(平成21年)に慶大卒業後、祖父守谷兼義が常務取締役を務めた日本郵船に就職。

人物

母である国境なき子どもたち専務理事の守谷季美枝と、絢子の母憲仁親王妃久子は「国境なき子どもたち」の関連事業において親しくなって以来、深い信頼関係による結びつきを築いたとされている。関連行事を毎年訪れていた久子妃は、2017年(平成29年)11月、「国境なき子どもたち」の設立20周年の祝賀会で慧と再会、彼に絢子女王を紹介した。

スポーツマンであり、トライアスロンマラソン大会への参加、スキー読書趣味である。

親族

父・治
日本の元通産省官僚日伯エタノール株式会社代表取締役社長日本アルコール販売株式会社常務執行役員。
母・季美枝
国境なき医師団理事、国境なき子どもたち(KnK)として別団体となった際の創設メンバー。国境なき子どもたち副会長・専務理事。
祖父・兼義
日本郵船常務取締役・元日本郵船ロンドン支店長、ロンドン日本人学校理事長、国際的船主団体機構国際海運会議所副会長。
親族・近藤達也
医師・元国立国際医療研究センター病院長。納采の儀で使者を務めた。

脚注

注釈

出典

  1. ^ 絢子さま、納采の儀 正式に婚約 日本経済新聞、2018年8月12日 11:47
  2. ^ 産経新聞 (2018年10月29日). “絢子さまと守谷さん ご結婚式 明治神宮”. 産経新聞:産経ニュース. 2025年8月9日閲覧。

関連項目

外部リンク




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