田沢疏水とは? わかりやすく解説

田沢疏水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 04:48 UTC 版)

田沢疏水(たざわそすい)は、秋田県南東部に広がる仙北平野を南北に流れる農業用水路である。


注釈

  1. ^ 元禄年間の「出羽国七郡絵図」(通称「元禄7郡絵図」)では、秋田郡6万4,320石、山本郡2万0,347石、河辺郡1万6,520石、由利郡5万4,745石、雄勝郡4万0,891石、平鹿郡5万1,195石に対し、仙北郡は8万2,030石であった。『角川日本地名大辞典』(1980)
  2. ^ 戦前期の秋田県南各地では木炭の品質改良が進められ、とくに山間部では「秋田備長炭」は長時間火力の持続する高品質の木炭として知られた。技術改良にあたっては昭和2年(1927年)に秋田県技師に着任した福島県出身の吉田頼秋の功績が大きかった。秋田便長炭の炭窯づくり
  3. ^ 国立の神宮寺種馬所(現秋田県畜産試験場)の誘致に尽力したのが、大曲町出身の政治家榊田清兵衛であった。榊田は、盛曲線(現田沢湖線)敷設にも努力し、代議士としては関東大震災後の復興や日本最初の地下鉄上野-浅草間)の開通にも力があった。
  4. ^ 上堰は、延宝6年(1678年)、藩士田口隼人と野中村市右衛門の2名が藩に注進して工事が許可された。延長14キロメートル。下堰は、延宝5年(1677年)、草彅理左衛門によって着工され、18年の歳月をかけて完成した。延長16キロメートル。この堰の掘削の過程で千手観音が線刻された平安時代末期(奥州藤原氏時代)の和鏡が発見されており、秋田県唯一の国宝となっている。
  5. ^ 御堰は、「大堰」「御勘定堰」「新兵衛堰」とも呼ばれる。
  6. ^ 蓮沼家は、蘆名家断絶ののち佐竹式部少輔家の家臣となったが、仲の祖父五左衛門の代に式部少輔家廃絶に角館に戻っており、本藩組頭の職についていた。
  7. ^ 1827年に隧道が完成した際には久保田から検使信田利兵ヱ、支配役蓮沼仲、家老小瀬又七郎らが現地に見聞に来ている。『田沢疏水』(1990)p.6
  8. ^ 当初は、開拓予定地を一望できる一丈木公園が予定されていたが、当日梅雨だったため、千屋小学校に変更された。
  9. ^ 昭和18年8月18日付地元紙には以下のような記載がある。

    …耕すべき寸土を持たぬ人々を招き新農村を建設するために、4年前から営々として働いているのがオパコ十七仙北の花だ。…日がな一日真っ暗なトンネルに潜って水浸しとなりながら、せっせと岩石を支える柱を掃除する彼女らの手は赤く、一枚40貫もするコンクリートブロックを張る肩は頼もしい。やがてその苦心は報いられ、2,500町歩にかんがいする大幹線水路に満々たる清水を湛える日もそう遠くないことだろう。…頬冠りの中からニッコリ微笑む彼女たちの笑くぼには「仙北米」の大増産の秋が約束されている。

  10. ^ 秋田県大曲町出身の小作農であった安藤仁一郎は農民運動で挫折したのち、キリスト教に入信。その後、昭和14年に満州移民となって大陸にわたった。満州では「秋田開拓団矢留部落」の長として開拓にあたったが、そこでもキリストの教えを集落の人びとに説いた。終戦時には苦難の旅を続けて引き揚げたが、故郷には住む場所さえなかった。安藤はともに苦労してきた仲間たちと暮らせる開拓地を求めて県当局と交渉し、その結果与えられたのが、神代村柏林の原生林であった。柏林集落では集団洗礼などもおこなわれ、全集落いまでも信仰を守っている。こちら編集室「クリスチャン集落」
  11. ^ 開拓当時の苦労談については、『広報あきた』昭和43年明治百年記念号「田沢疏水物語」、『広報おおた』昭和52年8月号「町を拓く」などに詳しい。
  12. ^ 国営田沢疏水農業水利事業の起工式は昭和54年4月25日千畑町民体育館で、完工式は平成元年4月20日大曲エンパイヤホテルでそれぞれ行われている。写真集『疏水の歩みを語る』pp.45-55

出典

  1. ^ 東北農政局「田沢疏水」
  2. ^ 河川表(雄物川水系)(秋田県建設部河川砂防課)
  3. ^ a b 疏水の歩みを語る「田沢疏水と開拓II」(秋田県農地整備課)
  4. ^ a b c d 『大田町史』pp.810-821
  5. ^ 『秋田人名大事典・第二版』(2000)p.458
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m 『田沢疏水』(1990)pp.1-11
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 大坂(1979)pp.28-38
  8. ^ a b 疏水の歩みを語る「田沢疏水は語る」(秋田県農地整備課)
  9. ^ a b c d e f g h i j 土崎(1981)
  10. ^ a b c d e f g h i j k 疏水の歩みを語る「玉川毒水 甦る命の水」(秋田県農地整備課)
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m 疏水の歩みを語る「国営田沢疏水」(秋田県農地整備課)
  12. ^ a b c d 『田沢疏水』(1990)pp.12-20
  13. ^ a b 秋田県の疏水紹介「田沢疏水」(秋田県土地改良事業団体連合会)
  14. ^ a b 水土里デジタルアーカイブス「田沢疏水」
  15. ^ a b c d 『田沢疏水』(1990)pp.21-39
  16. ^ a b 写真集『疏水の歩みを語る』(1997)pp.9-10
  17. ^ a b c d 『土地改良区だより「田沢疏水」第7号』(1997)
  18. ^ 写真集『疏水の歩みを語る』(1997)pp.11-13
  19. ^ a b c d e f g 疏水の歩みを語る「田沢疏水と開拓I」(秋田県農地整備課)
  20. ^ こちら編集室「クリスチャン集落」(『秋田県南日々新聞』2001年12月28日)
  21. ^ 写真集『疏水の歩みを語る』(1997)p.26
  22. ^ 豊かだった終戦後の美郷…政治学者・佐々木毅さん(2015年7月7日付『讀賣新聞』)
  23. ^ 写真集『疏水の歩みを語る』(1997)p.23
  24. ^ a b 疏水の歩みを語る「第二田沢開拓」(秋田県農地整備課)
  25. ^ 東北農政局「第二田沢」
  26. ^ 『田沢疏水』(1990)pp.46-55
  27. ^ a b c d e f g 疏水の歩みを語る「仙北平野農業水利」(秋田県農地整備課)
  28. ^ 東北農政局「仙北平野」
  29. ^ a b c d 疏水の歩みを語る「蘇る田沢疏水」(秋田県農地整備課)
  30. ^ 中山耕至:クニマスの「発見」について 京都大学フィールド科学教育研究センター FSERC News No.24
  31. ^ 「クニマス情報」仙北市
  32. ^ a b 秋田県農業水利施設活用小水力等発電推進協議会会員名簿(改良区)
  33. ^ 秋田県土地改良事業団体連合会「会員・役員」


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