家名 家名の概要

家名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 14:20 UTC 版)

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なお、東アジアの漢字文化圏にある日本、中国、韓国、ベトナムなどでは、それぞれ同じ「家」という漢字を用いていても、国によって「家」の機能や人々の関係性に違いがある[1]。例えば、中国における「家」の場合は同居共財という男系の親族等とそれを巡る財産の集まりであり、日本の「家」のように家業や家名の維持を重視する機能を持つものではない[2]

日本史における家名

古代日本の支配層は氏と呼ばれる一族集団によって構成されてそれぞれが姓を有していたが、この時代の姓は氏名(うじな:氏の名称)を意味していた。源氏平氏藤原氏橘氏の4つの姓を持った氏が代表的な貴族として知られていた(源平藤橘)。

公家社会においては平安時代中期以後、御堂流閑院流勧修寺流などの家筋が成立するが、この当時の家筋は派生した氏集団としての要素が強かった。公家社会では平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて父子直系の家族間で同じ称号を名乗る習慣が発生するが、こうした称号も実名使用を回避し、他の公家との区別を明確化するために用いられたもので安定したものではなく、父子間でも異なったり、自称と他称が異なったり(多くの場合は自称が重視された)することも珍しくなかった。「前宮内卿」「藤中納言」「二位大納言」など、“前”・“本”・“新”・“藤”・“源”の文字や位階+官職名で構成される一般名詞のように用いられた称号(これを「非固有名詞的称号」と称する[3])も同様の目的で用いられていた。嫡系継承が確立する南北朝時代になると「近衛家」・「九条家」などの個々の「家」が確立され、家名として成立するようになった。家名は邸宅のある通りやゆかりのある地名・施設名などから取られる場合が多かった。もっとも室町時代に入っても家名と異なる称号を用いる公家も少なくなかった。例えば、初期の足利将軍尊氏義詮)は朝廷(北朝)においては「足利」を家名、「鎌倉」を称号として、自らが“鎌倉殿”であることを強調した。また、室町時代後期の今出川家は“今出川殿”を称した足利義視に遠慮して「菊亭」を称号として後世まで引き継いだ。こうした現象は個人単位でもしばしば発生し、古記録や系図などを読む際には注意を要する。また、家名は家業とともに個々の「家」を伝統文化・有職故実の宗匠(家元)としての価値を持たせる役目を果たし、実質的な政治権力を失った公家社会において「家」の存続を図る動機となり得た。例えば、藤原為家の子・為相は、父から家業である歌道を引き継ぐとともに、正門が冷泉小路に面していた「冷泉高倉」邸を譲られて家名を「冷泉」と号した。他の兄弟もそれぞれ二条大路と京極大路に面した正門を持つ邸宅を継承したことからそれぞれ「二条」・「京極」と名乗った。

武家社会においては受領軍事貴族在庁官人及びその子孫が中央の公家と同様の姓を名乗っていたが、平安時代末期には代々の居住地や開発して自己の所領とした土地の地名を苗字として採用するようになる。足利氏新田氏北条氏千葉氏などがこれに当たる。もっとも、当初のそれは公家の例と同じように派生した氏集団としての要素も存在し、北条氏から金沢・赤橋・大仏・名越の諸家が派生するなど流動的な要素もあり、武家社会の家名の成立も公家社会と同様に南北朝時代ごろと考えられている。

民衆社会においても、貴族と同様の姓を名乗る者も存在していたが、家名が確立したと言えるのは、室町時代頃と考えられている。ただし、民衆においては苗字と通名の2本立ての家名が用いられていた。通名とは人名における家名に相当するもので代々の当主が襲名すると呼ばれる通称のことで、「○○兵衛」「××衛門」などがこれに当たる。また、商家における屋号も苗字と同様の役割を果たし、屋号と通名を合わせた名称(「○○屋××衛門」「××○兵衛」など)が公式の名乗りとなった。江戸時代には苗字の公称が禁じられたために通名をもって家名の区別を行ったとされているが、実際には公文書などに苗字が使えなかったのみで地域内での苗字の私称は広く行われていたとされ、また領主による苗字帯刀によって許可が与えられる事例も少なくは無かった。

明治維新後の1875年2月13日平民苗字必称義務令及び1898年公布の明治民法によって全ての日本人が苗字を名乗りそれを家名として固定化することが定められた(なお、これに先立って姓尸不称令が出され、古代以来の姓が実質上廃止されている)。

西洋等における父称


  1. ^ 韓敏「中国における社会と民族のパラダイム : 人類学的枠組みと事例研究 : 機関研究 : 「包摂と自律の人間学」領域 中国における家族・民族・国家のディスコース (2012-2014)」『民博通信』第141号、国立民族学博物館、2013年6月、 8-9頁、 ISSN 0386-2836NAID 1200068265862021年12月12日閲覧。
  2. ^ 森田成満「中国法史講義ノート(V)」『星薬科大学一般教育論集』第33号、2015年、 55-74頁、 ISSN 0289-369XNAID 1200059502922021年12月12日閲覧。
  3. ^ 遠藤、2006年。


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