マイクロソフトの歴史 1995年-1999年:ウェブや新事業への進出

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マイクロソフトの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 03:13 UTC 版)

1995年-1999年:ウェブや新事業への進出

1990年代半ば、マイクロソフトは製品ラインをWorld Wide Webコンピュータネットワークの分野にまで拡大し始めた。1995年8月24日AOLへの対抗サービスとしてオンラインサービスMSN (Microsoft Network) を立ち上げた。MSNはMicrosoft Passport英語版(後のMicrosoft アカウント)をすべてのウェブサイトの共通ログインシステムとして採用し、マイクロソフトのオンラインサービスを包括するようになった。1996年、マイクロソフトは新しい市場への進出を続け、7月15日にはNBC社との共同事業としてニュース専門放送局MSNBCを開始した。また、Michael Kinsley英語版の執筆によるオンラインマガジンSlate英語版を開始し、漫画『ドゥーンズベリー』とともに政治的・社会的な論評記事を提供した。一般消費者市場への影響力を高めるため、マイクロソフトはWebTVを買収し、テレビからウェブにアクセスするためのサービスを提供した。マイクロソフトは11月Windows CE 1.0によってPDA市場にも参入した。これはWindowsオペレーティングシステムをゼロから書き直したもので、携帯端末や小型コンピュータなど、メモリパフォーマンスの劣るマシン上で動作するよう設計された。1996年Windows NT 4.0が発売され、Windows NTカーネルとWindows 95のインタフェースとが統合された。

マイクロソフトは1990年代初期のインターネットの興隆に参加することに概して失敗したが、1990年代半ばになって、この市場に参入するために投資した技術のいくつかが成果を上げはじめた。その最たるものがComponent Object Model (COM) 上に構築されたAPIであるActiveXだった。この技術により、JScriptVBScriptなどといった多くのプログラミング言語から共通のコントロールを埋め込むことができるようになった。ActiveXにはドキュメントやサーバ・ソリューションのためのフレームワークも含まれていた。マイクロソフトはまた、インターネットアプリケーションへのサポートを組み込んだMicrosoft SQL Server 6.5を発売した。1997年にはMicrosoft Office 97Internet Explorer 4.0がリリースされ、ネットスケープの支配的だったブラウザ市場を脅かし始めた。また、Apple Computerの承認により、Internet ExplorerはWindowsだけでなくMacintoshにも付属するようになった。この年、携帯端末用Windowsの最新版であるWindows CE 2.0が発売され、多数のバグ修正や企業ユーザにとって魅力的な新機能が施された。10月、司法当局は連邦地方裁判所に対し、マイクロソフトが1994年に結ばれた協定に違反しているとの動議を提出し、裁判所に対し、Internet ExplorerがWindowsに付属するのをやめさせるよう要求した。

1998年という年は、マイクロソフトの歴史にとって重要な年だった。ビル・ゲイツスティーブ・バルマーを社長に任命する一方、彼自身は会長CEOに留まった。マイクロソフトは一般消費者向けWindowsの最新バージョンであるWindows 98を発売した。Windows 98にはInternet Explorer 4.0 SP1(Windows Desktop Update英語版が付属した)が付属され、FAT32ファイルシステムのようにWindows 95 OSR 2.xに含まれていた機能、およびマルチディスプレイなどWindows 98で初めて追加された機能が含まれた。また、後にアメリカ合衆国に次いで二番目の規模となるインド本部を設立した。さらに、マイクロソフトの一連の内部メモがインターネットに流出すると、大規模な論争が巻き起こった。これらの文書は俗に「ハロウィーン文書」と呼ばれ、メディアによって大きく取り上げられた。この文書には、以前からオープンソースソフトウェアのアナリストや支持者から指摘されていたような、フリーソフトウェア・オープンソースソフトウェアがマイクロソフトに与える脅威について詳細に記述されており、Linuxなどのオープンソースソフトウェアへの合法もしくは非合法な対処方法についてほのめかされていた。マイクロソフトはこの文書の存在を認めたが、これらは単なる技術研究の一環であると主張した。しかし一方で、これらの研究が実際にマイクロソフトの経営戦略に取り入れられていたとする意見もある。


注釈

  1. ^ 当初マイクロソフトは25,000ドルで非独占的ライセンスを購入した。その後50,000ドルを追加して全ての権利を買い取ったが、後にSCPと訴訟沙汰となり、結局マイクロソフトはSCPに和解金として92.5万ドルを支払っている(『帝王の誕生』、400頁)。

出典

  1. ^ a b c NHKスペシャル新・電子立国』第1巻「ソフトウェア帝国の誕生」(相田洋著、日本放送出版協会1996年)pp.120 - 123
  2. ^ ポール・アレン『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』講談社、2013年、125頁。 
  3. ^ 『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』、133頁。 
  4. ^ 『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』、141頁。 
  5. ^ 『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』、148頁。 
  6. ^ メインズ&アンドリュー『帝王の誕生』三田出版会、1995年、124頁。 
  7. ^ 『帝王の誕生』、135頁。 
  8. ^ 『帝王の誕生』、109頁。 
  9. ^ a b 『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』、146頁。 
  10. ^ 『帝王の誕生』、115頁。 
  11. ^ a b c 『帝王の誕生』、137頁。 
  12. ^ a b 『帝王の誕生』、112頁。 
  13. ^ 『僕とビル・ゲイツとマイクロソフト』、147頁。 
  14. ^ 『帝王の誕生』、149頁。 
  15. ^ Seattle Post-Intelligencer Staff (2005年5月18日). “Redmond council OKs Microsoft expansion”. Seattle Post-Intelligencer. http://www.seattlepi.com/local/224768_microsoft18.html 2006年7月4日閲覧。 
  16. ^ マイクロソフト (2008年2月22日). “マイクロソフト、相互運用性の強化に向けたテクノロジ プラクティスとビジネス プラクティスの変更を発表”. 2008年10月16日閲覧。





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